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日本武尊の白鳥はいずこ?(大阪府)大鳥大社

大鳥大社本殿・拝殿 全国一宮巡り
本殿・拝殿
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基本情報

大鳥大社大鳥居

大鳥大社 大鳥居

鎮座(所在地)

大阪府堺市西区鳳北町一丁目1番地

社格等

延喜式:式内社・名神大社
旧社格:官幣大社
神社本庁:別表神社
和泉国一之宮

御祭神

日本武尊(やまとたけるのみこと)
大鳥連祖神(おおとりむらじのおやのかみ)

境内社・摂末社

(摂社・式内)大鳥美波比神社(おおとりみはひじんじゃ)
(摂社・式内)大鳥北濱神社
(摂社・式内)大鳥濱神社
(摂社・式内)大鳥井瀬神社

縁起

 当社はその起源古く古来大鳥大明神と称せられ延喜式名神大社であり、和泉国一宮である。
日本武尊は景行天皇の皇子にして勅を奉じ熊襲並びに東国を平定、帰途伊吹山の賊を平らげたとき病を得て伊勢国能褒野に薨じ給うたが御屍は白鳥と化し御陵を出て大和国琴引原、次に河内国古市にとび最後に此の地に留まり坐したので社を創建、之が当社の起源と伝える。
又、大鳥の連祖神は大ナカトミと元を一にし祖先は天岩戸開に功を立てた天児屋根命である。
聖武天皇の御世には僧行基が勅願により神宮寺としてこの地に勧学院神鳳寺を建立したが明治の神仏分離により廃寺となり当社は明治四年三月官幣大社に列格。
社殿は大鳥造と称して神社建築史上貴重な様式を今に伝えている。
『境内案内』より
大鳥大社境内由緒書

境内由緒書

交通情報

公共交通機関

JR阪和線鳳駅西出口より徒歩3分程度(西出口階段を降りてそのまま直進、突き当たりを左折)

自動車

阪和道堺出口を右折し大池前交差点を左折~突き当りを右折、JR阪和線のガードをくぐってすぐを左折
阪神高速堺出口を直進国道26号線「浜寺南町3丁」交差点を左折し突き当り

駐車場

鳥居前に4~6台程度(但し、正式な駐車場ではなさそう)
鳥居をくぐって直進し左折、その先の右手と左手に第1・第2駐車場あり

参拝記

日本武尊に関連する神社を参拝し、その足跡を追うというのをちょっとばかりライフワーク的にしている。
理由は簡単で、私の住んでいる横浜市のお隣、横須賀市にある「走水神社」というのが日本武尊に関わりの深い神社であり、まだ小学生・中学生のころ、父親や叔父に連れられ、頻繁にその走水の地に魚釣りに行っていたからだ。
大鳥大社日本武尊像

日本武尊像

今回、あるプロジェクトで奈良市内に2週間ほど滞在することになり、奈良市内の近傍のホテルに宿泊していた。
そのホテルの入口に掲げられていたのが「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山こもれる 大和しうるわし」という有名な古事記に出てくる倭建命(日本武尊)の歌である。
春の連休直前にプロジェクトが一段落し、東京に戻ることになったのだが、この歌にもちょっと触発されて、まだ訪問していない和泉国一宮である当社を参拝することにした。
「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山こもれる 大和しうるわし」は、父である景行天皇に「九州の熊襲征伐」「東国征伐」と右へ左と椅子を暖める時間もないほどある意味酷使され、自分のふるさとを思って詠んだ詩とされる。
実際、その後、伊吹山(滋賀県・岐阜県にまたがる伊吹山地の主峰:関ヶ原の付近)の悪い神様を討伐するために出向き、病により伊勢国の能褒野(諸説あるようだが三重県鈴鹿市田村町付近)で薨去されることとなった。
当社の祭神については、実はいろいろな変遷をたどっているらしい。
現在、当社では「日本武尊合祀60周年」のお祝いをしている。
あれ、とおもって少し調べてみたら、
当初「日本武尊」を祭神としていて、
明治29年(1896年)に政府が祭神考証により「大鳥連祖神」に変更
昭和36年(1961年)に「日本武尊」を祭神に追加
という経緯をたどっているらしい。
大鳥大社本殿・拝殿

本殿・拝殿

大鳥大社境内図

境内図

確かに、各令制国の一宮について、その地の有力な豪族を祭神として祀っているケースは非常に多い気がする。
例えば、相模国一宮の寒川神社なども、「寒川比古」というちょっと謎めいた神様をお祀りしていたりする。
大和朝廷が国の支配を確実にするまでには、恐らく多くの氏族や豪族が各国で勢力を争っていたのであろうし、有名な出雲大社(杵築大社)のように、恐らく当時の勢力争いの敗であろう豪族を大きな社でお祀りするケースある。
想像をたくましくすると、恐らく大鳥連(おおとりむらじ)の氏族の祖先をお祀りしていた神社に、後生にヤマトタケル伝説を加えて、神社としての権威を高めようとしたこともあったのかもしれない。
或いは、天児屋命は天孫降臨の逸話の中で、神事を司る神として出てくるので、それに連なる大鳥連やその一族に連なる中臣氏(当時神官の職などを務めていた氏族であった)などの伝説を、当時からヤマトタケルを祀ってきたこの地の当社に、地理的な部分も含めて併せて祀るようにしたのかもしれない。
つまり、日本武尊が先か、大鳥連が先か、どちらを取るかでストーリーがずいぶん違ってしまう。
面白いのはこれだけではない。
由緒書きにも出てくるが、大鳥造というちょっと出雲大社の大社造りに似たような独特の社殿の形式を取っていることだ。
当社が配布している『大鳥大社由初略記』によると、「出雲大社に次ぐ古い形式を今日に伝えています。大社造りの住居型から拝所としての神殿型への移行であり、さらに住吉造りへと変化していく過程であります、」とされています。

境内には本社を含めて5つの式内社がお祀りされていて、ゆっくり歩いて散策・参拝が出来る。

大鳥大社本殿・拝殿

本殿・拝殿

ご神木

ご神木 根(値)上がりの大楠

本社から摂社大鳥美波比神社を通り、さらに左に進んでいくとご神木である「根上がりの大楠」がお祀りされていて、根上がり=値上がりと、商売繁盛を願う人々の信仰の対象になっている。
なぜか、大鳥美波比神社とご神木の間に可愛い野良猫が数匹、ぽかぽか陽気に誘われて気持ちよさそうに昼寝中。

美波比神社前に佇む猫

美波比神社前に佇む猫

大鳥美波比神社以外の摂社は現在社殿修復中であった。

また、毎年4月13日から14日には花摘祭(はなつみまつり)という神事が行われる。

花摘祭

大阪府堺市の大鳥神社で四月十三・十四日の神事。稚児、花摘女や数十人が引く花車を前後に従えて、神輿が鳳(おおとり)街道を行宮所へ渡御する。ここで付近の漁民が捕った魚の贄(にえ)を神饌として祭典がある。花摘女は菜花、麦穂など時期の花を奉納する。かつては花摘女が花籠を奉った。一説には祭神の花見であるとする。

『神道事典』国学院大学日本文化研究所編 P.269より抜粋

花摘祭は、大鳥大社サイトによれば、平安時代を起源として厄病、災厄除けのために始まったらしい。災厄・疫病を防ぐ、という観点では国つ神系の民間信仰で知られる「蘇民将来」等を似ているような気がする。こちらの方は、花籠を持った女性や子供たちがパレードをするわけで、なんとも華やかなイベントになるではないか?
昨今の新型コロナウイルス感染症問題で本年は開催を中止する、といった掲示が出ていた。
残念哉、残念哉・・・。

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