
蛇窪神社 御朱印
基本情報

蛇窪神社社号標大鳥居
鎮座(所在地)
東京都品川区二葉4丁目4-12
社格等
除災招福総鎮護
旧社格:村社
御祭神
主祭神
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
応神天皇(おうじんてんのう)
境内祭祀
<厳島弁天社>
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
田心姫神(たごりひめのかみ)
湍津姫神(たぎつひめのかみ)
蛇窪龍神(へびくぼりゅうじん)
白蛇大神(しろへびおおかみ)

蛇窪神社白蛇由緒

厳島弁天社に白蛇
<伏見稲荷社>
稲荷大神(いなりおおかみ)

蛇窪神社稲荷社由緒

蛇窪神社稲荷社
縁起
文永8年(鎌倉時代・1272年)11月10日、北条四朗左近大夫陸奥守重時は、五男の時千代に多数の家臣を与え蛇窪(現在の品川区二葉四丁目付近)に残って当地域を開くよう諭して、自らはこの地を去りました。その後、時千代は、法圓(ほうえん)上人と称して大森(大田区)に厳正寺(げんしょうじ)を開山し、家臣の多くは蛇窪付近に居住させました。現在、厳正寺の檀徒がこの地域に多いのは、こうした理由によるものです。文永8年の秋から50年ほど経た元亨(げんこう)2年(1322年)、武蔵の国(現在の東京・埼玉)一帯が大干魃となり、飢饉の到来は必至と見られました。このとき、厳正寺の当主、法圓の甥の第二世法密上人は、この危機を救うため、厳正寺の戌亥(北西)の方向にあたる森林の古池のほとりにある龍神社に雨乞いの断食祈願をしました。上人の赤誠(せきせい:偽りや飾りのない心。まごころ。)と神霊の冥助(みょうじょ)により、大雨が沛然(はいぜん)と降り注ぎ、ついに大危機を免れることができました。これに感激した時千代の旧家臣たちは、蛇窪に神社を勧請し、神恩にこたえて祀りました。これが現在の蛇窪神社の縁起とされています。(荏原区史)なお一説には、鎌倉時代に、この地の豪農、森屋氏(現姓森谷氏等の先祖)が建立したものとも伝えられています。当社の旧社名は神明社でしたが、その後村社に昇格して「天祖神社」に解明されました。令和元年5月1日より、御大典を記念し、また、地域の発展を祈念して、神社名の問合せの多い別称「蛇窪神社」を通称表記に格上げすることになりました。『東京の白蛇さま 蛇窪神社 由緒書』蛇窪神社 社務所編 より抜粋
交通情報
公共交通機関
都営浅草線 中延駅 徒歩5分
東急大井町線 中延駅 徒歩6分
JR横須賀線 西大井駅 徒歩8分
※東急大井町線 戸越公園駅から徒歩12分の経路を神社では「開運コース」として案内しています。戸越公園駅は旧「蛇窪駅」だそうです。
自動車
環七通り 松原橋交差点を馬込駅方面へ 二葉四丁目の交差点を西大井駅方面へ向かい、一つ目の信号を越えて2本目の丁字路を左折。
駐車場
参道脇及び大鳥居脇に車両が止められているが、おそらく関係者用のスペースだと思われます。
(大鳥居脇は神社の敷地の駐車場に見えますが、「契約者のみ」という掲示がなされています。)
二葉四丁目の交差点から神社方面に向かい、神社方面へ左折せずに直進するとすぐにコインパーキングがあります。
神社では、近傍のコインパーキングの利用を推奨しています。
参拝記

蛇窪神社大鳥居
東京都内で仕事をしているが、以外と「灯台もと暗し」で東京都内はもちろんのこと、関東近県の神社はまだまだ参拝できていないところが多い。
例えば、一宮巡りなど積極的にしているのに、武蔵国一宮である「氷川神社」「小野神社」等はまだ未参拝である。
普段の週末、ぐだぐだとベッドの上で寝転んでいるのが通常だが、毎月1回、通院のために東京都大田区周辺に通う必要があり、そうしたタイミングを見計らいつつ、東京都内近郊の神社参拝をしてみようと思い立った。
以前同じようなタイミングで平和島の磐井神社に参拝できたので、こいつはいいや、と今回も行くことに。
今回参拝させていただくのは蛇窪(へびくぼ)神社。

蛇窪神社拝殿
元々昨年までは「天祖神社」という正式名称があり、蛇窪という名前は別称であったらしいのだが、地元では以前からこの名称が使われており、令和の改元のタイミングで蛇窪神社を正式な名称に格上げしたそうだ。
創建が1272年で鎌倉時代とのことなので、非常に歴史がある神社ではあるが、その割には大鳥居がぴかぴかで非常に新しい。社務所前にて配布されている由緒書によれば、大正初期に建立された初代大鳥居が昭和20年の大空襲で本殿や樹木がすべて焼けてしまった際にもその戦火を免れ、昭和49年に銅を使って修復されていたものを、老朽化したため平成30年に解体、令和元年末に新たな大鳥居として再建されたそうで、まだ建立から2ヶ月しかたっていなかったのでぴかぴかなのは当たり前か。
新型コロナウィルスの騒動は静寂な神社境内にも影を落としており、それは本社においても同じ。
手水舎には水がなく、感染拡大防止のために手水の利用が停止されていた。
しかしながら、参拝者は結構いて、ちょっとびっくり。これも神威か。
SNSによれば、一部の神社では御朱印の下付に当たっても、感染拡大防止の意図で御朱印帳への押印を取りやめ、半紙に事前に押印されたものを下付するのみとした神社もあるようだが、幸いにも当社は御朱印を通常通り下付していた。
大鳥居を抜けて正面に本殿・拝殿。向かって左手奥に厳島弁天社、こちらの弁天社に白蛇様の祀られているようである。
弁天社脇に掲げられている「白蛇縁起」によれば、
鎌倉時代、天祖神社の社殿の左横(現在の消防団詰所付近)に清水が湧き出る洗い場があり、そこに白蛇が住んでいました。時写り、いつの間にか洗い場がなくなり、やむなく白蛇は現在の戸越公園の池に移り住みようになりました。あるとき、土地の旧家森谷友吉氏の夢枕に白蛇が現れ「一日も早くもとの住みかに帰してほしい」と懇願しました。厳島弁天社脇『白蛇縁起』より抜粋
とされており、社殿に向かって左脇にある倉庫のような建物(消防団詰所?)あたりが白蛇の発祥地であることがわかる。
神社発行の由緒書きに依れば、諸説はあるようであるが、創建当時にこの地にあった「龍神社」が最終的に「蛇窪神社」に昇格した形になっていて、龍と水というのは切っても切れない関係。よって、このあたりには池だとか沼、泉など、水がある場所であったのだと思う。
現在の弁天社には白蛇様がまとわりついたデザインになっていて、こちらは昭和29年頃にジモトの櫻井昌利氏他の有志によって造営されたものだという。
環状七号線から少し狭い道に入り、そこから神社に入る角に旧蛇窪村の由緒を著す説明板が設置されていた。

蛇窪村由緒
現在、スネークタウンとして町おこしをしているらしい。
各地に白蛇を祀る神社は点在しており、有名どころでは広島県岩国の「岩国白蛇神社」や熊本県阿蘇の「阿蘇白蛇神社」などがあるが、どこも「金運」をあげてくれるお力があることをうたっている。
ちょっと調べてみると、その由緒はインドにあるようで、蛇は現在の弁財天(弁天)の神様の使いであり、白蛇は特にその化身とされてきたとのことである。
白蛇というのは普通の蛇のアルビノ(白子)であろうから、全体の中では決して数が多くないだろうし、めったに見られないものに貴重性を感じたのかもしれない。
新型コロナウィルス騒動で経済的にもかなり厳しい時期なので、何とぞお力を持ってお救い頂きたい、とお祈りさせて頂いた。
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