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農耕・紡績の神は風の神?(大阪府)泉穴師神社

泉穴師神社 全国二宮三宮巡り
御朱印
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基本情報

泉穴師神社大鳥居

大鳥居

泉穴師神社拝殿・本殿

拝殿・本殿

鎮座(所在地)

大阪府泉大津市豊中町1-1-1

社格等

延喜式:式台社(小社二座)
旧社格:府社
和泉国二の宮
和泉国五社

御祭神

主祭神

天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
栲幡千千姫命(たくはたちちひめのみこと)※泉穴師神社由緒書ふりがなに準ずる
※明治12年(1879年)の神社明細帳によれば、天富貴神及び佐古麻槌大神を祭神とされていて、その後現在の祭神となっているので、祭神についての見解が異なっていた時期があると思われる。

摂末社

(摂社)住吉神社
(摂社)春日神社

その他

大歳社(大歳神・稲作農業の神)
兵主社(八千鉾神・工業の神)
八幡社(誉田別命・文字勝運の神)
大国主社(市杵島姫命・大國主命・事代主命)
楠木社(楠木正成公・摂津、河内、和泉の守護)
愛宕社(火之具土命・火を司る神)

泉穴師神社大歳社

大歳社(大歳神・稲作農業の神)

泉穴師神社兵主社

兵主社(八千鉾神・工業の神)

泉穴師神社八幡社

八幡社(誉田別命・文字勝運の神)

泉穴師神社大国主社

大国主社(市杵島姫命・大國主命・事代主命)

泉穴師神社楠木社

楠木社(楠木正成公・摂津、河内、和泉の守護)

泉穴師神社愛宕社

愛宕社(火之具土命・火を司る神)

縁起

当神社は、式内社で和泉五社の一、泉州二の宮であります。
穴師の里、千古の神境に神殿奥深く静まります。
主祭神は
農業の神であらせられる天忍穂耳尊
紡織の神であらせられる栲幡千千姫命
の御夫婦二柱の神であり、天忍穂耳尊は天照大神の御子神で皇室の御祖神の系列にあらせられ、栲幡千千姫命は御名の通り、栲は古い昔衣服の原料となる麻・絹・綿等一切の繊維類の総称であり、幡は「繪」「服」の字に相当し、布帛の総称で、繪具(はたもの)は、織機の意味で衣服の紡織に種々工夫改良を加えられた姫神様であらせられ、泉州の地が今日農耕並みに紡織を以って繁栄しておりますのも、洵に御神徳のいたすところであります。
移植の安定は政治の中心でありますので、往古より歴代の天皇の当社に対する御崇敬は、文献に数々残されておりまして枚挙にいとまありません。
又、古来より、幼児虫封じに霊験あらたかと云われ、参拝者多数でございます。
『泉穴師神社由緒』泉穴師神社発行

 

交通情報

公共交通機関

JR阪和線 和泉府中駅より徒歩14分(約1.2km)

境泉北有料道路経由で第二阪和国道(国道26号線)、はなみずき通り経由で目的地

駐車場

本殿脇の公園に8台程度のスペースあり

 

参拝記

奈良県で仕事があり、2週間ほど滞在した後の春の連休に、和泉国の一宮~三宮の参拝をした際に、最後に訪問。場所と移動の関係から、一宮・三宮・二宮の順序で参拝となった。

泉穴師神社社名碑

社名碑

泉穴師神社大鳥居

大鳥居

多くの車が行き交う第二阪和国道から少し入った閑静な商店や住宅が立ち並ぶエリアで、すぐ脇に小さな公園がある。
公園自体がおそらく鎮守の杜の一角となっているようで、駐車場も木々を通った光に照らされている。
クスノキの大木が何本もたっているのだが、これは大阪みどりの百選に選ばれているものらしく、大変立派。
表参道の大きな石製の鳥居の前には、以前はおそらく人が渡っていたのだろう小さくてそれでいて傾斜が急な石橋が残されている。もしかしたらこの下に小さな小川が流れていたのかもしれない。
御祭神は天忍穂耳尊・栲幡千千姫命の御夫婦の神様。
大変興味深いのは、本殿の前に2つの小さな鳥居があり、それぞれ別々のお賽銭箱が置かれている。
二つの神社が実質的に一つになっているケースは有名神社でもいくつかあげられる。
その中でも最も有名な神社は和歌山県の古社、日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)である。

泉穴師神社拝殿前の2つの鳥居

拝殿前の2つの鳥居

紀伊国一宮であるが、こちらは2つの社殿が近接していて実質的に1つの境内にあるイメージだが、泉穴師神社の場合は建物としての本殿は1つなのだが、入り口が2つあってそれぞれに鳥居等があるような形式になっているのが極めて珍しい。しかも、その鳥居は社殿のすぐ目の前にあり、背が高い人であればもしかしたら頭が当たってしまうのではないかと思うような感じである。
当社発行の由緒書によれば、慶長七年に豊臣秀頼が片桐且元に命じて大修復されたものとされ、和泉国三の宮である聖神社と同じような経緯を持つ神社であり、さらに「流造正面千鳥破風付のものを二伝連続したもので比翼作りとも云い、細部の手法よく桃山時代の特徴を現し、貴重な文化財として国の重要文化財に指定されております。」とのことで、この造りが前述の2つの鳥居につながるのだとおもう。

「穴師」神社といえば、奈良県桜井市にある「穴師坐兵主神社」「穴師大兵主神社」も有名である。
「穴師」というのは古来「風」の神様を表しているケースが多いといい、「風神」であるという考え方もある。
『延喜式』で風の神としてあげられるのは天御柱神、国御柱神、級長津彦命、級長戸辺命等が挙げられるが、鍛冶の神=季節風の神として「穴師」を風の神の一種とみられるようなのだ。

 

鍛冶の神を祀るとも言われる奈良の穴師坐兵主神社をはじめ諸国のの穴師神社は、アナジ・アナゼといった荒れ模様となりやすい北西季節風の異名と関係があるようで、もともと風雪除けのために祀られたものと考えられる。また、暴風の呪術的行為として鎌を用いるところは多い。強風の沈静と作物の豊かな実りを祈念する人々は、こうした神社への参拝祈願の他、風神に対して風祈祷や風祭、風日待ちや獅子舞などを行ってきた。とくに二百十日前後に行うことが多いが、実際その時期に到来する台風は農作物に大きな被害を及ぼす。また、悪魔払いにも似た風の神送りを行うところもあった。その場合、風神を送ることで大風や台風を避けるというばかりではなく、風が風邪に通じることから、同時に風邪を引き起こす悪霊や疫神を追い払うという意味もあった。
『【縮刷版】神道事典』國學院大學日本文化研究所編 弘文堂

このように、本社が「農業」「紡績」を祀り、「風神」のもたらす様々な助けを得て、「風」「風邪」のもたらす悪霊から身を守り、豊かな人々の暮らしを実現してきたのだと思う。

由緒書の中には孝謙天皇(天平勝宝年中)、村上天皇(天暦中)、崇徳天皇(大治中)に「御宇鎮疫祈願御叡感」の綸旨を賜っている、との記述もあり、上述のような「風邪」除け=「風邪を引き起こす悪霊や疫神を追い払う」「幼児虫除け」(これについては夜泣きやぐずりだろうが、これも古来は病気の一種と思われていたのか?)などにつながったように思える。
「風」の神を、各地の穴師神社がいろいろな祀り方をしているのも、その地域地域で「感謝」であったり、「畏れ」であったり、或いは「恵み」であったり、物事を見る角度で見え方が異なるのは古代の人も現代の人も変わらないのだなあと考えさせられた。

泉穴師神社五大力石守案内

五大力石守案内

泉穴師神社五大力石守 玉垣内

五大力石守 玉垣内

泉穴師神社

五大力石守 ここのどこかに

なお、境内本殿前方左手前にある玉垣内には「五大力石守」がある。この玉垣内に小さな玉石が敷き詰められていて、その中に「五」「大」「力」とそれぞれ書かれた石があるそうだ。
これを全てそろえてお守り袋に入れて保管し、願いが叶ったら自分の家の近くの同じような大きさの石に文字を書いて自分が持ってかえった石と併せて奉納する=玉垣内にいれる、というルール。
「寿力」「福力」「体力」「智力」「財力」等運力を授かるそうで、結構一生懸命探したが「五」しか見つからず断念。

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