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不破関を守る金属の神(岐阜県)美濃国一宮 南宮大社

南宮大社 御朱印 全国一宮巡り
御朱印
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基本情報

鎮座(所在地)

岐阜県不破郡垂井町宮代1734番地の1

南宮大社 東海道新幹線脇の大鳥居

東海道新幹線脇の大鳥居

社格等

延喜式:式内社(名神大社)
旧社格:国幣大社
神社本庁 別表神社
美濃国一宮

御祭神

主祭神

金山彦命(かなやまひこのみこと)

相殿神

彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
見野命(みののみこと)

摂社

(境内)荒魂社
(境内)伊勢両宮
(境内)東照宮
(境内)南宮稲荷神社
(境内)金敷金床神社
(境内)石船社
(境内)引常明神
(境内)湖千海神社
(境内)数立神社
(境内)樹下神社
(境内)高山神社
(境内)隼人神社
(境内)南大神社
(境内)七王子神社

(境外)大領神社
(境外)吉葛神社
(境外)南宮御旅神社 (美濃国総社)

縁起

御祭神金山彦野命は、神話に古く、伊勢神宮の天照大神(あまてらすおおみかみ)の兄神に当たらせられる大神様であります。社伝によれば、神武天皇東征の砌、金鵄を輔(たす)けて大いに霊験を顕された故を以って、当郡府中に祀らせられ、後に人皇十代崇神天皇の御世に、美濃仲山麓の現在地に奉還され、古くは仲山金山彦神社と申し上げたが、国府から南方に位する故に南宮大社と云われるようになったと伝えます。御神位は古く既に貞観十五年(八七三)に正二位に叙せられ、延喜式の神名帳には美濃国三十九座の内、当社のみ国幣大社として、名神祭にも預かる大社に叙せられています。天慶三年(九四〇)、平将門の乱の誅伏の勅願や、康平年中(一〇五八~六五)安部貞任(さだとう)追討の神験によって、正一位勲一等の神位勲等を極められ、以来、鎌倉、室町、戦国の世を通じて、源氏、北条氏、土岐氏等の有力な武将の崇敬をうけ、美濃国一宮として、亦、金の神の総本宮として、朝野の崇敬極めて厚い名大社であります。
『南宮大社略誌』南宮大社 発行 より抜粋

 

交通情報

公共交通機関

東海道線 垂井駅から徒歩20分
その他、東海道新幹線岐阜羽島駅からレンタカー・カーシェアで30分程度
東海道線 大垣駅からレンタカー・カーシェアで15分程度

名神高速道路 関ヶ原ICから20分(14km)
東海環状自動車道 大垣西IC12分(7km)

駐車場

大鳥居脇に駐車場あり

参拝記

新型コロナウィルスで世情が落ち着かない中、これまで一度も参拝したことのない岐阜県の、しかも美濃国一宮である当社に参拝。
当日、東海道新幹線の岐阜羽島駅にてカーシェアを借りて、名神高速道路を使えばさーっと30分くらいでいけるはず!と余裕をこきながらスタートしたのだが、なぜか名神高速道路が大事故で閉鎖されていて、そのおかげであっちこっちの一般国道が大渋滞。結局何のかんので2時間近くかかって日が落ち始めた頃に参拝できた。
南宮大社と名前を見ると非常に南国チックなイメージを持つところであるが、ある意味その期待を裏切らない極彩色の大変美しい社殿。

金・鉱山・鍛冶等の神様「金山彦命」

御祭神は金山彦命というその名の通り金・鉱山などの神様とされている。
金山彦命(金山比古神)というのは、古事記や日本書紀に登場する神で、イザナミがカグツチを生んだ後に伏せってしまい、そのときに嘔吐した吐瀉物から生まれた神様である。
南宮大社は金山彦を祀る神社としては最も有名であるが、全国に点在する「金山神社」の総本宮である。
金山彦命とその妻である金山姫命(かなやまびめのみこと)の間に出来た子どもが金屋子神(かなやこしん)で、これもまた「鍛冶神」として鍛冶業や冶金業に従事する集団の守護神として祀られてきているとされる。

南宮大社楼門

楼門

金属の特殊神事「ふいご(鞴)祭」

金属の神様だけあって、特殊神事も興味深い。
「ふいご祭」(鞴祭)という神事が毎年11月8日に「金山祭」という別名で催行されており、その名の通り金属の溶かすために必要なふいごについて祀るもので、野鍛冶による金属の鍛錬式を再現するものであるそうだ。
同じような鞴祭は現在外国人旅行者が最も行ってみたい場所として知られる伏見稲荷大社でも同じく11月8日催行されている。
この金山祭に於いて、南宮大社ウェブサイトには「この金山祭では、飯、御湯漬、鰯、シイラ、金槌といった特殊なお供えが用意される。中でもシイラ(シイラ科の海魚)は意外性があり、これが供えられる意味は謎になっている。」という面白い記述もある。

南宮大社 高舞殿と拝殿

高舞殿と拝殿

六国史の中の仲山金山彦神社=南宮大社

さらにいろいろと調べていたら、この南宮大社(旧の社名は仲山金山彦神社)は
延喜式神名帳 名神大
続日本後紀 836年 従五位下 名神
続日本後紀 846年 正五位下
日本三大実録 859年 従三位→正三位
日本三大実録 864年 従二位
日本三大実録 873年 正二位
日本紀略 888年 大神宝を遣わす
と、いわゆる六国史の中でわずか40年ばかりの内であれよあれよとある意味出世を遂げている。

南宮大社の背後のご神体?養老山脈・南宮山・そして・・・

南宮大社駐車場の奥に、当社の境内図を周囲の山の絵も加えて記載されていて非常に面白い。
背後に養老山脈、直後に「南宮山」があり、この南宮山が古くから「不破山」「美濃の中山」とよばれるやまであった。当社の境内社とされる高山神社奥宮(椿姫宮)が山頂に鎮座していて、南宮山は当社にとっての一つのご神体であると考えられる。
不破関と呼ばれるのもこの地域で、一つには畿内を守護する神として大切に信仰されたのかもしれない。

南宮大社 境内案内

境内案内

日本武尊の最後の戦いの地 伊吹山

また、この南宮山の脇には「伊吹山」があり、これこそ日本武尊がこの山の神と闘って結果として落命する原因となった場所なのだ。
しかも、ブラタモリよろしく伊吹山の地質は石灰質で、多くの石灰岩が採集される場所だとのことで、このあたりが金属関連の産業にとって何か意味があった、つまり金山彦神が金属の神になった大きな理由があるのではないかと考えたりもする。
想像たくましくすると、日本武尊が伊吹山の神に挑んで敗北して病になったのは、なにか金属を溶かす際に発生する有毒ガスにやられたとか・・・。
近くに美濃国二宮の伊富岐(伊吹)神社があり、こちらも参拝してさらに想像をかき立てたかったのだが、残念ながらタイムアップ。

なぜか大鳥居と駐車場の間に「美濃国総社」という石碑がある。
美濃国総社は「南宮御旅神社」と云われているのだが・・・。
こちらの南宮大社では伊富岐神社や南宮御旅神社など4社の御朱印も頂戴できるようで、思わず全て頂いてしまいたかったが、やはり参拝してから頂戴したいと断念。近日のリベンジを誓った。

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