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波瀾万丈の歴史の証人(東京都)穴守稲荷神社

穴守稲荷神社 東京都の神社
穴守稲荷神社御朱印
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基本情報

鎮座(所在地)

東京都大田区羽田五丁目2-7
穴守稲荷神社拝殿・奥の宮千本鳥居

拝殿・奥の宮千本鳥居(右手前)

社格等

旧社格:村社

御祭神

主祭神

豊受姫命(とようけひめのみこと)

摂末社

(境内社)奥の宮
(境内社)幸稲荷社
(境内社)福徳稲荷社
(境内社)築山稲荷奥宮社
(境内社)末廣稲荷社
(境内社)必勝稲荷社
(境内社)出世稲荷神社
(境内社)繁栄稲荷神社
(分社)草津穴守稲荷神社 群馬県吾妻郡草津町 西ノ河原公園
(分社)富士吉田穴守稲荷神社 山梨県富士吉田市緑ヶ丘
(分社)磐梯熱海穴守稲荷神社 福島県郡山市熱海町

縁起・由緒

社伝に云う。文化文政の頃 鈴木新田(現在の空港内)開墾の際、沿岸の堤防しばしば激浪のために害を被りたり。或時堤防の腹部に大穴を生じ、これより海水侵入せんとす。ここにおいて村民等相計り堤上に一祠を勧請し、祀る処稲荷大神を以てす。これ実に当社の草創なり。爾来神霊の御加護あらたかにして風浪の害なく五穀豊穣す。その穴守を称するは「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」という心なり。そもそも稲荷大神は、畏くも伊勢の外宮に斎き祀られる豊受姫命にましまして、衣食住の三要を守り給える最も尊き大神なり。吾等一日たりともこの大神の恩顧を蒙らぬ日はなく、実に神徳広大なり。
殊に当社は明治以来、大正・昭和を通じて、最も隆昌に至った。参拝の大衆日夜多く境内踵を接する如く社頭又殷賑を極め、崇敬者は国内は勿論遠く海外にも及べり。然るに昭和二十年八月終戦にのぞみ、敗戦と云う未曾有の大混乱の中、米軍による羽田空港拡張の為、従来の鎮座地(東京国際空港内)より四十八時間以内の強制退去を命ぜられた。同年九月、地元崇敬者有志による熱意の奉仕により境内地七百坪が寄進され、仮社殿を復興再建。現在地(大田区羽田五丁目2番)に遷座せり。
爾来崇敬者各位の協力により、社殿・奥宮・神楽殿・社務所・展示場・神輿庫・納札所等復興し、目下境内整備を実施中にて、漸次昔日の面影を取り戻しつつある次第なり。
『穴守稲荷神社略記』パンフレットより抜粋

交通情報

公共交通機関

京浜急行空港線 穴守稲荷駅 徒歩3分
京浜急行空港線・東京モノレール線 天空橋駅 徒歩5分

首都高速横羽線(1号線)羽田ランプから環八通りを羽田空港方面へ、羽田旭町交差点の次の信号を右折し、ホテル梅月の次の角を左折、さらにその先を左折

駐車場

神楽殿前に数台駐車可

 

 

参拝記

灯台もと暗しと言うが、京急線沿線に住んでうん十年。

穴守稲荷は駅の名称にもなっているし、大変メジャーな神社だったので、参拝も後回しに次ぐ後回しになってきたが、月末恒例の大森の病院に行った帰りに羽田神社と一緒に是非、と参拝の機会を得た。
社史や構内の掲示を読んでみると、日本の表玄関に位置するだけあって波瀾万丈の歴史がそこに。
穴守稲荷神社拝殿

拝殿

穴守稲荷神社のおこり

文化元年(1804年)に羽田周辺で干拓事業を行った際に、干拓地の堤防が嵐によって決壊し、近傍の水田が海水被害に遭うことになったため、地元の村人がその平安を祈願して稲荷神社を祀ったのがその起こりとされる。
穴守というのは、嵐によって空いてしまった堤防の「穴」から「守」るというところから来ているそうだ。

災難に次ぐ災難・・・だが、

明治17年(1884年)にも暴風雨があり、結局、その祠が全壊したそうだが、直ぐに再建の許可をとりるけて新しい社殿を建設。この時つけられた新しい名称こそ「穴守稲荷神社」だったそうだ。
当時は干拓地らしく、まだ近くに海岸線が残っていて、潮干狩り、温泉、そして芸者遊びなど、聖と俗が隣り合わせの姿で発展していった。さらに現在の京浜急行が京浜蒲田(現 京急蒲田)から支線を伸ばし、様々なアトラクションで一大観光地に発展。

しかし、次の敵は泣く子も黙る・・・

第二次世界大戦が終わってGHQによる占領統治が始まると、昭和6年(1931年)に完成した羽田飛行場の拡張と軍事基地化のために境内が接収の対象に。一旦は羽田神社に合祀されるが、地元の有志によって現在の場所にやっと落ち着いた。
現在、穴守稲荷神社の構内整備工事が行われていて、足場や防音・防塵シートなどが掛けられている。
また、奥の宮もその対象で、拝殿前の大鳥居の前方の建屋に仮設の状態である。
仮設の置の宮には「神砂」が収められた金属の箱があり、志の奉納により持ち帰ることができる。
この神砂は「あなもりの砂」という名前がつけられていて、社殿によれば何もない海から魚が大量に、何もない砂庭に千客万来、という大変ありがたい砂だそうだ。
この「あなもりの砂」は、
お砂のまき方
商・工・農・漁業・家内安全の招福には玄関入り口に
病気平癒の場合は床の下に
災・厄・禍除降の場合は其の方向へ
新築・増改築には敷地の中心へ
『穴守稲荷神社略記』パンフレットより抜粋
として尊ばれている。
この仮宮の中には、とにかく縁起の良い名前の稲荷社が多数祀られている。
穴守稲荷神社境内社

末廣稲荷社・必勝稲荷社

穴守稲荷神社境内社

幸稲荷社・福徳稲荷社・築山稲荷奥宮社

穴守稲荷神社境内社

出世稲荷神社

穴守稲荷神社境内社

繁栄稲荷神社

残念ながら今回は工事中につき仮宮への参拝となったが、完成の暁には本殿・拝殿の向かって右側に美しい極朱色の鳥居とともに現れると思う。
是非参拝の際は奥の宮にも立ち寄ってはいかがだろうか?
穴守稲荷神社奥の宮仮宮

奥の宮仮宮

穴守稲荷神社神砂

神砂

招福砂(神砂)由緒書

招福砂(神砂)由緒書

当社の周りは住宅地やオフィスビルなど、かつての羽田の浦の姿などみじんも感じさせない環境ではあるが、今では遠くなってしまった海岸線や田畑など、当社の歴史がそれを現代でも保存しているのだ。
現代の日本の空の玄関はかつてこの地がこうした環境であったことを社殿に記憶しつつ、更に発展することであろう。

御朱印

拝殿脇の社務所にて下付。
穴守稲荷神社及び奧の宮の御朱印が頂戴できる。
穴守稲荷神社

工事中の大鳥居

穴守稲荷神社拝殿

拝殿

穴守稲荷神社

穴守稲荷神社御朱印

穴守稲荷神社

穴守稲荷神社奥の宮御朱印

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