
延喜式内社巡り / 大阪シリーズ
2025.06.28
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目次
- 基本情報
- 鎮座(所在地)
- 創祀
- 社格等
- 御祭神
- 主祭神(四本宮)
- 境内社(主要)
- 縁起
- 交通情報
- 公共交通機関
- 車
- 駐車場
- 参拝記
- 「住吉っさん」に初めてまともに向き合った日
- イザナギの禊から生まれた神 — 住吉三神の正体
- 「ツツノヲ」の謎 — 星なのか、港なのか
- 神功皇后と住吉三神の切っても切れない縁
- 遣唐使が必ず祈願した神社 — 国家的な航海守護の聖地
- 国宝の本殿「住吉造」— 伊勢・出雲と並ぶ最古の建築様式
- 反橋と石舞台 — 大阪の歴史が凝縮した境内
- 和歌の神・農耕の神としての顔
- 御朱印
基本情報

住吉大社 拝殿
鎮座(所在地)
大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9番89号
創祀
神功皇后摂政11年(211年)と伝わる。神功皇后の三韓遠征(新羅遠征)の帰途、住吉大神の神託によって現在の地に鎮斎された。後に神功皇后も合わせ祀られ、現在の四本宮の体裁が整った。
社格等
延喜式:式内社(名神大社)摂津国住吉郡 住吉坐神社 四座 並名神大 月次相嘗新嘗
旧社格:官幣大社・二十二社(中七社)
現在:神社本庁別表神社・摂津国一宮・全国約2300社住吉神社の総本社
御祭神

住吉大社 正門
主祭神(四本宮)
第一本宮 底筒男命(そこつつのおのみこと)
第二本宮 中筒男命(なかつつのおのみこと)
第三本宮 表筒男命(うわつつのおのみこと)
第四本宮 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后
境内社(主要)
大歳社 / 浅澤社 / 種貸社 / 楠珺社(くすたまのやしろ)/ 誕生石 / 五所御前 ほか多数
縁起
日本書紀などによれば、神功皇后の三韓征伐に際して住吉三神が託宣し、男児の誕生を予言するとともに、加護を約束した。凱旋に際しても神託があり、それに従って、荒魂を穴門の山田邑に鎮祭した(下関市の住吉神社)。さらに務古水門において、和魂を大津渟中倉之長峡に祀れば、往来する船を守護するとの託宣があり、田裳見宿禰に祀らしめたのが住吉大社の起こりである。後に、神功皇后も祀られるようになった。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、摂津国住吉郡に「住吉坐神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗」として、4座が名神大社に列するとともに朝廷の月次祭・相嘗祭・新嘗祭では幣帛に預かる旨が定められている。
天武天皇以来、天皇の行幸も数多い。鎌倉以降は歴代将軍はじめ、武家の崇敬も極めて篤く、楠木正成・足利尊氏・豊臣秀吉などは特に篤く敬った。後村上天皇は、9年間にわたって住吉大社を行宮としている。江戸時代においても、徳川将軍はじめ諸大名の尊崇を受け、参勤交代の際に必ず参詣する大名も多かったという。
交通情報
公共交通機関
南海本線 住吉大社駅より徒歩約3分
阪堺電気軌道(路面電車)住吉鳥居前停留場よりすぐ
大阪メトロ御堂筋線 あびこ駅より徒歩約20分
車
阪神高速15号堺線 住吉出入口より約5分
駐車場
境内に参拝者専用駐車場あり(有料)。初詣など混雑時は周辺の有料駐車場を利用。
参拝記
「住吉っさん」に初めてまともに向き合った日
H23.6.17(2011年6月17日)、大阪府大阪市住吉区に鎮座する住吉大社を参拝した。
H27.1.10にも2回目の参拝をしており、この写真はその時のものだ。
ちょうど、初詣時期であったこともあり、多くの参拝客で賑わいを見せていた。
御朱印は専用の窓口で頂戴したのだが、初詣時期は多くの若い女性が巫女として奉仕されているようで、大変おきれいな方々ばかりでちょいとばかり緊張したのを覚えている。
「住吉っさん」——この愛称は大阪の人なら誰もが知っているそうだ。大阪を代表する神社として観光客も多く訪れるこの神社を、実は私はそれまでちゃんと向き合って参拝したことがなかった。
私のプロフィールにもあるのだが、御朱印を頂戴するのはあくまで結果であり、求めているのは多くの歴史に埋もれてきた名社を参拝させて頂くことだと思っているので、30年以上御朱印を集めながら参拝してきて、結果全国1000社以上を巡ってきた中で、あまりに「有名すぎる」神社は後回しにしてしまいがちになってしまう。ましてや、初詣シーズンど真ん中は極力避けるようにしてきたのだが、ちょうど仕事の出張と重なって、結果として招かれるように「住吉っさん」を訪れた、ということになる。
この日は道明寺天満宮と合わせての参拝だったが、住吉大社に腰を据えて向き合ったのはこの時が初めてだったと言っていい。
南海本線の住吉大社駅を降りると、すぐ目の前に大鳥居が現れる。朱塗りの大きな反橋(そりばし)が目に飛び込んでくる。この橋一つで「ここは普通の神社ではない」と直感させる力がある。

住吉大社 大鳥居

住吉大社 反橋
イザナギの禊から生まれた神 — 住吉三神の正体
住吉大社の御祭神・住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)は、日本神話の中でも成り立ちが明確な神様だ。
住吉大神は、『古事記』『日本書紀』によると、伊弉那岐命が黄泉の国で受けた汚れを清めるため海に入って禊を行った時、海の底・中・表から生まれた。
「底」「中」「表」という三層から生まれた三神という発想は、海という場の立体的な理解を示している。海底・海中・海面という三つの領域を司る神として、航海の神・禊の神としての性格が最初から備わっていた。
またこの誕生の場面は、アマテラス・ツクヨミ・スサノオという「三貴子」が生まれた場面と同じ禊の場面だ。住吉三神は三貴子と同じ「禊から生まれた神」として、記紀編纂時には「天神」のランクに位置づけられており、その神格の高さがわかる。

住吉大社 石舞台
「ツツノヲ」の謎 — 星なのか、港なのか
住吉三神の「ツツノヲ」という名前には、実は諸説あって面白い。
三神の「ツツノヲ」の字義については詳らかでなく、これまでに「津の男(津ツ男)」とする説のほか、「ツツ」を星の意とする説、船霊を納めた筒の由来とする説、対馬の豆酘(つつ)から「豆酘の男」とする説などが挙げられる。そのうち「津の男」すなわち港津の神とする説では、元々は筑紫国の那の津の地主神・守護神であった住吉三神であり、三韓征伐後に分祀された和魂を当社が祀り、難波の発展に伴って難波津も含むヤマト王権の外港の守護神に位置づけられ、神功皇后紀のような外交・外征の神に発展したとも推測される。また星の意とする説のうちでは、オリオン座中央の三つ星のカラスキ星(唐鋤星、参宿)と関連づける説などがある。
「港の神」か「星の神」か——この謎は未だ決着していない。しかし考えてみれば、古代の航海者にとって、夜の海を渡る時の道標は星だ。「港(津)の神」と「星の神」という二つの解釈は、実は古代の航海という文脈において自然に重なり合う。夜空のオリオン座を見ながら航路を定め、港へと辿り着く——住吉三神はその全過程を守護する神だったと考えることができるかもしれない。
神功皇后と住吉三神の切っても切れない縁
住吉大社の縁起を語る上で欠かせないのが神功皇后との関係だ。
住吉大社は、第十四代仲哀天皇の后である神功皇后の新羅遠征(三韓遠征)と深い関わりがあります。神功皇后は、住吉大神の加護を得て強大な新羅を平定せられ無事帰還を果たされます。この凱旋の途中、住吉大神の神託によって現在の住吉の地に鎮斎されました。のちに、神功皇后も併せ祀られ、住吉四社大明神として称えられ、延喜の制では名神大社、二十二社の一社、摂津国一之宮、官幣大社に列せられています。
注目したいのは、住吉大社が成立した経緯の「順番」だ。まず住吉三神が創建を求め、後から神功皇后が合わせ祀られた——この順番は、住吉三神の信仰がいかに根深いものであったかを示している。
また、大阪シリーズで以前取り上げた生國魂神社の記事で、同じ神功皇后の三韓遠征の帰途に生田神社(神戸)・長田神社(神戸)・廣田神社(西宮)も創建されたと触れた。住吉大社もその同じ帰途に創建された神社の一つだ。神功皇后の三韓遠征という一つの歴史的事件が、現在の大阪・兵庫に点在する複数の名神大社の創建に直結しているという事実は、古代の神社と政治の深い関わりを感じさせる。
遣唐使が必ず祈願した神社 — 国家的な航海守護の聖地
住吉大社が「航海の神」として国家的に重視されたことを最も明確に示すのが、遣唐使との関係だ。
仁徳天皇の住吉津の開港以来、遣隋使・遣唐使に代表される航海の守護神として崇敬をあつめ、また、王朝時代には和歌・文学の神として、あるいは現実に姿を現される神としての信仰もあり、禊祓・産業・貿易・外交の祖神と仰がれています。
遣唐使船は、住吉津から出港する際に必ず住吉大社で海上安全を祈願し、住吉大神を船の先に祀って航海に出たとされている。唐という当時の世界最先端の文明国へ向かう危険な航海——多くの遣唐使が命を落とした荒波の海を渡る前に、この神社で祈りを捧げた。
「国際的な航海の守護神」としての住吉大社の位置づけは、現代の私たちが「住吉っさん」と気軽に呼ぶイメージとはかなり異なる、国家の命運を担う重厚な存在だったことを示している。
国宝の本殿「住吉造」— 伊勢・出雲と並ぶ最古の建築様式
住吉大社の最大の見どころの一つが、国宝に指定されている四棟の本殿だ。
住吉大社の本殿(四)は、住吉造と呼ばれる建築様式です。直線的な建築様式で、伊勢神宮の「唯一神明造」や出雲大社の「大社造」とともに、最古の神社様式です。屋根はヒノキの皮を敷き詰めた桧皮葺、妻入式切妻造で、正面二間、側面四間と奥行が深く、内部は中央で仕切っています。正面に階段がつくだけで周囲に縁が無く、素朴な外観ですが、柱は朱塗り、壁は胡粉塗りの横板壁で色彩の対比が鮮やかです。
伊勢神宮の「唯一神明造」、出雲大社の「大社造」、そして住吉大社の「住吉造」——日本の神社建築の三大様式が、それぞれの神社の本殿に現存している。この三社を意識して参拝すると、日本の神社建築がいかに多様な系統を持っているかが体感できる。
特に印象的なのは、第一本宮、第二本宮、第三本宮は、住吉三神の男神をお祀りしているので千木は外削ぎであるが、第四本宮は神功皇后が祀られているので内削ぎである。千木(ちぎ)と呼ばれる屋根の飾りが、祀られている神の性別によって異なるという細部にも、古代からの信仰の丁寧さが宿っている。
反橋と石舞台 — 大阪の歴史が凝縮した境内
住吉大社の境内で最も有名な場所といえば、大鳥居手前の「反橋(そりばし)」だ。
大鳥居の先に「すみよっさんの太鼓橋」と親しまれている朱塗りの反橋があります。淀君が奉納したとされ、渡るというより登るような急勾配は、人の地上界と神の天上界をつなぐ架け橋として虹にたとえられてきました。
急勾配の反橋を渡りながら境内に入るという体験は、まさに「俗界から神域へと移行する」感覚を体で感じさせてくれる。これは単なる橋ではなく、参拝者に「今から神様の領域に入る」という意識の切り替えを促す装置だ。
また境内には、秀頼が奉納した石舞台は重要文化財で、四天王寺・厳島神社のそれとともに日本三舞台とされ、毎月5月の卯之葉神事では、天王寺楽所「雅亮会」によって舞楽が奉納されます。
豊臣秀頼が奉納した石舞台、淀君が奉納した反橋——豊臣家との深い縁も住吉大社の歴史の一部だ。大坂城を中心とした豊臣の大阪と、住吉という地が歴史の中で強く結びついていたことが見えてくる。
和歌の神・農耕の神としての顔
住吉大社の御神徳は「航海守護」だけではない。
平安時代以降、住吉大社は「和歌の神」としても広く信仰を集めた。『源氏物語』をはじめ多くの物語に描かれ、貴族たちが度々参詣した。和歌を詠む際に住吉の神に加護を祈るという慣習は、中世を通じて続いた。
また農耕との関わりも深い。豊な実りを祈り、華やかにして盛大に執り行われる重要無形民俗文化財の御田植(おたうえ)神事(6月)は、神功皇后が田んぼを設け、御田を作らせたのが始まりです。また、前年に収穫した神米の種を御供えする祈年祭(3月)、稲穂を神に捧げる宝之市神事(10月)、収穫を喜び感謝する新宮祭(11月)と、五穀豊穣にかかわる神聖な行事が、現在でも年間を通して厳格に伝承されている。。
航海の神・禊の神・和歌の神・農耕の神——住吉大社はこれほど多様な信仰を束ねてきた。それは裏を返せば、古代から現代まで、あらゆる人々のあらゆる祈りを受け止めてきた神社だということだ。「住吉っさん」という親しみある愛称の背後に、これだけの重みがある。
御朱印
社務所にて授与。
※御朱印の授与状況(直書き・書き置き・初穂料等)は変更になる場合がありますので、事前にご確認ください。
カテゴリ: 延喜式内社巡り / 大阪府の神社 / 全国一宮巡り
タグ: 住吉三神 / 底筒男命 / 中筒男命 / 表筒男命 / 神功皇后 / 摂津国一宮 / 式内名神大社 / 二十二社 / 住吉造 / 国宝 / 遣唐使 / 大阪市


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