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名神大社なのに「本当の祭神」が謎だらけ(大阪府)延喜式内社 杜本神社

杜本神社 御朱印 延喜式内社巡り
杜本神社 御朱印
この記事は約8分で読めます。


杜本神社 御朱印

杜本神社 御朱印—

2025.02.10

この記事は約8分で読めます。


目次

  1. 基本情報
  2. 鎮座(所在地)
  3. 創祀
  4. 社格等
  5. 御祭神
  6. 主祭神
  7. 境内社
  8. 縁起
  9. 交通情報
  10. 公共交通機関
  11. 駐車場
  12. 参拝記
  13. 4年ぶりのブログ更新はこの神社から
  14. 宮山の頂上に鎮まる古社
  15. 「本当の祭神」は経津主神ではなかった?
  16. 名神大社への出世を後押しした藤原氏の影
  17. 隼人石と楠公御首塚 — 境内に眠る二つの謎
  18. 御朱印

基本情報

杜本神社拝殿

杜本神社拝殿

鎮座(所在地)

大阪府羽曳野市駒ケ谷64番地

創祀

創建年代は不詳。社伝では崇神天皇の時代、経津主命の十四世孫・伊波別命(いわわきのみこと)がこの地に住み、祖神を祀ったのが始まりとされる。

社格等

延喜式:式内社(名神大社)河内国安宿部郡 杜本神社 二座

旧社格:村社

御祭神

杜本神社由緒書

杜本神社由緒書

主祭神

経津主神(ふつぬしかみ)
経津主姫神(ふつぬしひめかみ)

境内社

維日谷稚宮(わかみや)— 反正天皇・伊波別命・遠登売命を祀る
南木神社 — 楠木正成公を祀る
天満宮(菅原神社)— 菅原道真公を祀る
天照皇太神社
光国稲荷神社
光吉稲荷神社


縁起

杜本神社の創建年代は明確ではない。社伝によれば、崇神天皇の御代(約2000年前)に香取明神(経津主神の別名)の十四世孫・伊波別命が「この地は祖神・経津主神の陵墓の地である」として住み着き、祖神をお祀りしたのが始まりとされている。

その後、醍醐天皇の延喜年間(927年)に成立した『延喜式神名帳』において名神大社に列せられ、宮中の月次祭・新嘗祭には朝廷から勅使が派遣される格式ある神社となった。

しかし、この神社の来歴には興味深い「もう一つの説」が残されている。羽曳野市が境内に設置した案内板によれば、平安時代初期には経津主神ではなく、百済系渡来氏族「飛鳥戸氏」の子孫である百済宿禰永継(くだらのすくねながつぐ)とその祖先を祀る神社であったとされているのだ。

天正年間には織田信長の高屋城攻めの際に兵火で社殿・社宝を焼失し、豊臣秀吉の時代には社領も没収されて一時は大きく衰退した。その後、江戸時代に神宮寺であった金剛輪寺の住職・覚峰(かくほう)の尽力によって再興され現在に至っている。


交通情報

公共交通機関

近鉄南大阪線 駒ヶ谷駅より徒歩約10分(宮山の頂上付近)

西名阪自動車道 藤井寺ICより約15分
南阪奈道路 羽曳野ICより約10分

駐車場

神社付近に参拝者用の駐車スペースあり(台数少)。


参拝記

4年ぶりのブログ更新はこの神社から

本年2月、大阪府羽曳野市にある杜本神社を参拝した。

このブログの更新が止まっていたのが2021年3月のこと。気がつけば4年以上が経っていた。仕事が非常に忙しかったという言い訳は一応しておきたいが、その間も細々と神社巡りは続けていたので、書くべきネタは山ほどある。久しぶりの再開にふさわしい神社として、この杜本神社を選んだのには理由がある。
まず、2025年9月に30数年ぶりに大学に入学した。通信制ではあるが、ずーっと学習したかった考古学や歴史学をスクーリングを交えて学べる大学に3年次編入のカタチでだ。
もちろん、今を去ること30数年前に入学した大学では経済学を学んだ。それ自体になんの後悔もないのだが、実は経済学と共に中学生の頃から本当に学びたかった学問があった。それは考古学。
中学生の頃に母親に買ってもらった本の中に、旧石器時代の遺跡である岩宿遺跡とその発掘をした相沢忠洋さんの話が載っていた。
これに感銘を受けた若き日の私は、是非とも考古学者になりたい!と夢を持って幾星霜。なぜか全く違うネットワークエンジニアとなって今を迎えるわけだが、たまたま新聞広告に載っていた大学の広告を見つけて、これだ!と思い立ったわけだ。
そこからがんばって猛勉強して・・・のようなストーリーがあれば立派なのだが、通信制なので願書のみ。
この後のお話しは是非次回以降にも誰にも期待されないだろうが述べていきたいと思う。

話は長くなったが、大学には半期毎にスクーリングという週末のオンサイト授業があり、その際に関西を訪れて大阪中心部に泊まり、空いている時間を見つけて神社を巡ろうと言うことで今、大阪府羽曳野市にいる、というわけである。
新しい人生の門出を祝って、全然サボっていたブログを再開してやろう、ということだ。

さて、
「名神大社なのに旧社格は村社」「公式の祭神と市が設置した案内板の説明が全く異なる」「本殿には日本に2か所しかない珍しい石像がある」——一つの神社にこれだけの謎と見どころが詰まっていると、どうしても筆が走る。

杜本神社大鳥居

杜本神社大鳥居

宮山の頂上に鎮まる古社

杜本神社は近鉄南大阪線・駒ヶ谷駅から東へ徒歩10分ほど、「宮山」と呼ばれる山の頂上付近に鎮座している。
正直ベースで言うと、私はちょっとばかり足が痛いので、近くまでカーシェアで行った。

二上山の南に位置する竹内峠を通り、大和と河内を結んだ古代の幹線道路「竹内街道」沿いにあるこの一帯は、今も古い街並みや古墳が点在する歴史の濃い土地である。聖徳太子が乗った馬の蹄の跡がある石が出たことから「駒ヶ谷」という地名になったという伝承も残っており、飛鳥時代から人々の往来が絶えなかった場所だとわかる。

参拝した2月はまだ肌寒く、宮山への登り道は静かなものだった。頂上付近に近づくにつれて、鳥居が見えてくる。鳥居の前が二股になっていて、右手の鳥居がある方は短い階段が、左手の鳥居がない方は手すりのついた坂道になっている。
後で分かったことだが、どちらをいっても社殿にはたどり着ける。いわば女坂と男坂、といった感じだろうか。でも足があまりよろしくない私でも男坂でも問題ないレベルだ。
境内は広くはないが、周囲を木々に囲まれた凛とした空気が漂っていた。

杜本神社参道

杜本神社参道

「本当の祭神」は経津主神ではなかった?

当社の公式の御祭神は経津主神と経津主姫神の夫婦神とされている。経津主神といえば、千葉県の香取神宮に祀られる武神・剣神として知られ、鹿島神宮の武甕槌命とともに国譲りの神話でも活躍する著名な神様だ。

ところが境内に設置された羽曳野市の案内板を読むと、全く異なる説明がなされていて興味深い。

それによれば、当社はもともと百済系渡来氏族「飛鳥戸氏」の子孫である百済宿禰永継(くだらのすくねながつぐ)とその祖先を祀る神社であったというのだ。そして永継の子・藤原冬嗣が嵯峨天皇の側近として急速に台頭したことで、その母・永継とその祖先を祀るこの神社が、朝廷から最高格式の「名神大社」として位置づけられるようになった——と。

社伝では「経津主命の十四世孫・伊波別命が祀った」とされているのに、市の案内板では「渡来系氏族の氏神だった」という。この両説、どちらが正しいのだろうか?

私が思うに、これは当ブログでも何度か書いてきた「延喜式内社あるある」の一つではないか。各地の有力豪族の祖先神が、時代が下るにつれて記紀神話の著名な神様と同一視・習合されていく——このパターンは全国の古社に広く見られる。伊賀国一宮の敢国神社しかり、播磨国一宮の伊和神社しかり。

渡来系氏族「飛鳥戸氏」がこの地で祖先神を祀っていたものが、藤原冬嗣の台頭に伴って名神大社に列せられ、その過程で「剣神・経津主神」という権威ある神格と結びついていったと考えるのは、さほど無理のある推測ではないように感じる。

名神大社への出世を後押しした藤原氏の影

藤原永手の墓碑

藤原永手の墓碑

もう少し、この「名神大社への経緯」という謎を掘り下げてみたい。

当社が延喜式に名神大社として記載されるとともに、宮中の月次祭・新嘗祭に朝廷から勅使が派遣されるほどの格式を持つようになった背景に、藤原北家の影があるとされている。

百済宿禰永継は藤原内麻呂の妻であり、その子・藤原冬嗣は嵯峨天皇のもとで設置された蔵人所の初代蔵人頭に任命された人物だ。冬嗣はその後も権力を確立し、藤原北家繁栄の礎を築いた。

つまり、冬嗣が実権を握っていく過程で、自らの母・永継とその祖先を祀るこの神社が朝廷からも重く扱われるようになっていった——ということである。

境内には藤原永手の墓碑がある。

藤原永手と言えば、死後とはいえ太政大臣を追贈された人で、宇佐八幡神託事件に巻き込まれることなく、当時の政界を生き抜いた男だ。

これは延喜式における格付けが純粋に神社の霊威だけで決まるものではなく、その時々の政治的な力関係にも大きく左右されていたことを示す好例ではないだろうか。各地の式内社を巡るたびに感じることだが、「なぜこの神社がこれほどの社格を持つのか」を読み解いていくと、必ずそこに当時の権力者の存在が見えてくる。

隼人石と楠公御首塚 — 境内に眠る二つの謎

参拝でぜひ注目してほしいのが、拝殿前左右に置かれた「隼人石(はやといし)」である。

これは自然石の板面に獣面人身像を刻んだ一対の石造物で、高さ約1メートル・幅約50センチ。このような隼人石が現在も実際に拝観できる神社は、奈良の那富山墓(なほやまばか)と当社のわずか2か所のみとされている。非常に珍しいものだが、拝観には御祓いを受ける必要があるとのことで、今回は外側からのみ拝見した。

杜本神社境内社南木神社

境内社南木神社

もう一つ印象に残ったのが境内社の「南木神社」と「大楠公御首塚」だ。南木神社には楠木正成公が祀られており、その傍らに五輪塔が安置されている。湊川の戦いで戦死した正成公の首が、敵の目を逃れるためにこの地に密かに運ばれて隠されたという伝承が残っているのだ。

「経津主神の陵墓の地」という神話的な起源、渡来系氏族の氏神という平安初期の姿、名神大社としての朝廷との関わり、信長・秀吉という戦国の嵐、そして南北朝時代の楠木正成——一つの神社の境内に、日本の歴史が幾重にも積み重なっている。

杜本神社 占い

杜本神社 占い

ちょっと面白いのが、こちらの神社では占いをしてくださるようだ。
勇気が出なくてお願いできなかったのだが、どなたかこちらで占いをしていただいた方がいらっしゃれば、その時のお話しを聞かせていただけないだろうか?

これだから神社巡りはやめられない。

御朱印

社務所にて授与。

カテゴリ: 延喜式内社巡り / 大阪府の神社

タグ: 経津主神 / 経津主姫神 / 藤原冬嗣 / 楠木正成 / 隼人石 / 河内国 / 名神大社


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