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鴨都波神社(奈良県御所市)— 弥生の水辺に、鴨三社を閉じる

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三社目の、下鴨

高鴨神社を「今、迦毛の大御神」の物語として書き、葛木御歳神社を「祟る神とカフェ」の物語として書いた。賀茂氏が葛城に残した鴨三社——上鴨・中鴨・下鴨。その最後の一社、下鴨社を訪ねる番が、ようやく来た。

鴨都波神社(かもつばじんじゃ)である。

御所市の市街地の南西、葛城川と柳田川が合流するあたり。北の高鴨神社が金剛・葛城の山懐にあり、中鴨の葛木御歳神社が三歳山を背にしていたのに対し、この下鴨社は、山を下りきった平地の水辺にある。三社を上から下へ辿ってきて、最後に水のほとりに至る。この配置そのものが、じつは深い意味を持っている。

そして、この社には、もう一つ特別なことがある。境内の地面を掘れば、二千年前の弥生の暮らしが、そのまま出てくるのだ。神話でも伝承でもなく、木の鍬や臼が、米や桃の種とともに、土の中から現れる。鴨都波神社は、日本の神社のなかでも、これほど「古さ」を物質として証明できる社は、そう多くない。

鴨三社を閉じるにあたって、この水辺の古社を、じっくり歩いてみたい。


基本情報

項目 内容
社名 鴨都波神社(かもつばじんじゃ)
式内社名 鴨都波八重事代主命神社 二座(並名神大・月次・相嘗・新嘗)
通称 下鴨社・下津賀茂社・鴨明神・鴨の宮
鎮座地 奈良県御所市宮前町513
主祭神 積羽八重事代主命(つみはやえことしろぬしのみこと)
相殿 下照姫命
旧社格 名神大社
位置づけ 全国に分布する鴨社(加茂)の源祥地の一つ/下鴨社
参拝日 令和八年八月八日

社名と祭神 — 事代主命を祀る、下鴨の社

延喜式神名帳には「鴨都波八重事代主命神社 二座」として登載され、名神大社に列する。九条家本・金剛寺本には「ウヅツモッカモ」の訓註が付され、「都波」は旧事本紀では「都味歯」とも書かれる。

鴨都波神社 拝殿

現在の祭神は、主祭神が積羽八重事代主命(つみはやえことしろぬしのみこと)、相殿に下照姫命。建御名方命・大物主櫛甕玉命を配祀する。

事代主命——この神の名を聞いて、ぴんと来る方も多いだろう。大国主神の御子で、国譲りの神話において、父に代わって「国を譲る」と答えた神である。釣りを好み、託宣を司る神ともされる。恵比寿神と習合し、商売繁盛の神としても広く信仰されている。

由緒書きは、この社の祭神をこう説明している。事代主神は古く鴨都波八重事代主神と申し奉り、それは鴨の水辺で折目ごとに祀られる田の神という御神名で、弥生時代の中期初頭、この葛城川の岸辺に鎮め祀ったのに始まる、と。

「鴨の水辺の、田の神」。この一語に、社の本質が凝縮されている。山の神ではなく、水辺の、稲作の神。だからこそ、平地の川の合流点に鎮座しているのだ。立地と祭神が、みごとに呼応している。


天神と地祇 — 鴨三社を貫く対比

ここで、鴨三社を締めくくるにあたって、どうしても書いておきたい論点がある。天神(あまつかみ)と地祇(くにつかみ)の区分である。

鴨都波神社 境内

『神祇令義解』という律令の注釈書に、神々を分類した一節がある。それによれば、天神とは、伊勢・山城鴨・住吉・出雲国造の神ら。地祇とは、大神・大倭・葛木鴨・出雲大汝神らである。

注目してほしい。ここで「葛木鴨」——すなわち、この鴨都波神社を含む葛城の鴨の神が、地祇に分類されている。三輪の大神神社、大和神社と並ぶ、地(くに)の神である。

一方、上鴨の高鴨神社の祭神・味鉏高彦根命は、古事記で「今、迦毛の大御神」と呼ばれ、天神的な最高の敬称を与えられていた。

つまり、鴨三社のなかで、上鴨は天神的な性格を帯び、下鴨は明確に地祇——国津神である。同じ賀茂

鴨都波神社 ご神木 無患子

氏の神でありながら、山の上の社と水辺の社とで、神格の位相が異なっている。これは偶然だろうか。

私はここに、賀茂氏という氏族の、信仰の重層性を読む。天の神も、地の神も、この一族は葛城の地に祀った。山から水辺へと三社を辿ることは、天神から地祇へと神の位相を降りていくことでもあったのだ。鴨三社は、単に三つ社があるのではない。天と地を、山と水を、一つの氏族の信仰体系として束ねている。この構造に気づいたとき、私は三社を巡ってきた意味を、ようやく腑に落とせた気がした。

なお由緒書きは、この社を「全国に分布する鴨社(加茂)の源祥地」とし、高鴨社に対して下鴨社とも呼ぶ、と記す。京都の下鴨神社(賀茂御祖神社)をはじめ、全国の加茂・鴨を冠する社の、源流の一つがここにある。

鴨都波神社 社号碑

鴨都波神社 由緒書

私事であるが、私の父は新潟県加茂市の出身であるが、そこの「青海神社」はまさに加茂=鴨の神社である。いずれゆっくり記事を書きたいと思って居る神社の一つなのだが。


大神神社の若宮として

もう一つ、興味深い性格がある。調査報告は、鴨都波神社が大神神社の若宮(若神)としての性格を持つ、と指摘している。

賀茂の「賀」は「神(かも)」と同義の語であり、脇上(わきがみ)の地は若神(わかがみ)で、大神(おおみわ)の対語でもある、という。祭神・下照比売命の別名にちなむ古称であるとも考えられる。異本『大三輪三社鎮座次第』では、鴨都波神社を大神神社の別宮と記している。

三輪の大神神社と、葛城の鴨。奈良盆地の東(三輪)と西(葛城)を代表する古社が、「本社と若宮」という関係で結ばれている。前回の御歳神社でも、祭祀氏族が三輪の太田田根子の後裔だと触れたが、ここでも三輪とのつながりが顔を出す。賀茂氏と三輪氏、二つの古い氏族の信仰が、深いところで絡み合っているのである。

創祀について、『大和志料』が引く「異本大三輪三社鎮座次第」は、瑞籬宮(崇神天皇)の御世に、太田田根子命の孫・大賀茂都美命が、勅を承って葛城邑の賀茂の地に社を立て、事代主命を斎(いつ)き祀り、賀茂君の氏を賜った、と記す。新撰姓氏録も、賀茂朝臣を大神朝臣と同祖とし、大物主神の後裔・大賀茂都美命が賀茂神社を斎き祀ったと伝える。


格式 — 神戸八十四戸、新羅使への酒料

鴨都波神社が、名神大社にふさわしい厚遇を受けていたことは、記録が示している。

神戸(かんべ)は、新抄格勅符抄によれば、大和に三十八戸、伯耆に十八戸、出雲に二十八戸、計八十四戸。中鴨の御歳神社が十三戸だったのと比べると、その規模の大きさがわかる。延喜の制では並名神大社に列し、祈年・月次・相嘗・新嘗の幣帛に預った。

特に面白いのは、新羅使が入朝する際に、酒料として稲三十束が充てられたという延喜式の規定である。外交儀礼にこの社の酒が用いられた。事代主命が酒や託宣に関わる神であることと、無関係ではないだろう。有名なのは大神神社の杉玉だ。酒蔵の多くはこの杉玉を玄関に飾っているケースが多いのも、この神様がお酒の上と言われている事に由来しているらしい。

さらに、この社は古く「畝尾薬(うねおぐすり)」と称する和薬を伝えていたらしい。『大同類聚方』という平安初期の医薬書に、畝尾薬は大和国葛上郡の鴨都波八重事代主命神社に伝わる、祝部・畝尾連鳥麻呂が上奏した処方である、と記されている。神を祀るだけでなく、薬の知識までも伝えていた。古代の神社が、信仰と実学の複合体であったことを、この記録は教えてくれる。

そして「鴨下りの水」の故事。旱魃(かんばつ)の年には、法事川の用水をこの社に降ろすという。水辺の社にふさわしい、水の祭祀の記憶である。


鴨都波遺跡 — 弥生が地面から出てくる

この社の最大の特徴、それが鴨都波遺跡である。

鴨都波神社の境内を中心とした一帯は、標高一〇〇メートル前後、葛城山から東方に延びる低丘陵状地形の東端、金剛・葛城山に発源する葛城川と柳田川の合流点にあたる。ここが、弥生時代の大集落の跡なのだ。

境内から弥生式土器や石器が出土することは、昭和初期から知られていた。昭和三十五年、国道二四号線の新設と御所警察署の新築工事に伴って発掘調査が行われ、遺跡が広い範囲に及ぶことが判明した。

出土したものが、すさまじい。地表下約一・七メートルの深さに、幅約二〜三メートル、長さ約二五メートルの溝状の遺構があり、そこから土器・木器・石器に加えて、米や桃などの遺物、動物の骨までが出てきた。高床建築の柱が並んで発見され、湖の東側からは、弥生中期の土器とともに、矢板を打ち込んだ柵状の遺構も検出された。

とりわけ木製の農具——竪臼・木槌・木鍬・木鋤——は、当時の人々の生活を具体的に復原する資料として注目された。二千年前、ここに人が住み、田を耕し、米を作り、桃を食べていた。その痕跡が、そっくり土の中に残っていたのである。

由緒書きが「弥生時代の中期初頭、この葛城川の岸辺に鎮め祀ったのに始まる」と記すのは、単なる伝承ではない。考古学が、それを裏づけている。神社の創祀が弥生時代にまで遡ると、物質をもって示せる社は、日本でもきわめて稀だ。鴨都波神社は、神話と考古学が地続きになった、貴重な一社なのである。

境内の小字を「脇上(わきがみ)」という。この「脇上(わきがみ)」は、古事記・日本書紀に見える「掖上(わきがみ)」で、掖上噴間丘・室秋津島宮・掖上池心宮などの地名が伝わる、古代葛城の中心地の一つだ。弓月君が百二十七県の民を率いて渡来し、住みついたという掖上の故地でもある。地名もまた、この地の古さを証言している。


参拝記 — 苔むした社号標

令和八年八月八日、私は葛城の名神大社を巡る一日の、その最後にこの下鴨社を訪れた。高鴨(上鴨)から始まり、高天彦、御歳(中鴨)を経て、鴨都波(下鴨)へ。山の上から水辺へと降りてきて、鴨三社を一日で締めくくる巡拝だった。

到着したのは16:00ちょっと前で、少し日は陰ってきたが真夏の厳しい暑さの中ちょうど中鴨こと「葛木御歳神社」で宮司さんの営むカフェをスキップして急いでやってきたので、アイスコーヒーをやっぱり飲むんだった・・と後悔してたどり着いた。

駐車場は、大通りから脇に入った、境内の裏手にある。二十台ほど停められる。一つ注意を記しておくと、この駐車場の背中合わせに、そっくりな駐車場がもう一つある。そちらは月極駐車場なので、停めないよう気をつけてほしい。私も一瞬、迷った。

御朱印は書き置きで、初穂料五百円。日付は自分で記入する形だった。書き置きの横には、境内図と案内を記したプリントが無償で置かれていて、これがなかなか丁寧だった。

そして、この日いちばん心に残ったのが、入口の社号標である。

鴨都波神社 社号碑

長い年月にさらされて、深く苔むしていた。正直に言えば、苔が字を覆っていて、「鴨都波神社」と読み取るのが難しいほどだった。初めて訪れた人は、これが何の社号標か、すぐには分からないかもしれない。それほどに、歴史を吸い込んだ佇まいだった。

さらによく見ると、石柱の上部あたりに切れ目がある。地震か何かで一度壊れたものを、修復したように見えた。断定はできない。だが、あの志貴御県坐神社で見た、折れて上部だけが残された古い社号碑のことが、自然と思い出された。式内社の社号標は、しばしばこうして傷を負い、それでも立ち続けている。一一〇〇年の歳月は、石をも砕く。それでも、砕けた石を継いで、人はまた社名を掲げ直す。

苔むし、ひび割れ、それでも「鴨都波神社」であり続けるこの一基は、弥生から現代まで、二千年をこの水辺で過ごしてきた社の来歴を、静かに背負っているように見えた。鴨三社の締めくくりに、これほどふさわしい一枚もない。


社殿と境内

本殿は加茂流造、桁行三間・梁行九尺、銅板葺。拝殿は桁行四間・梁行四間で、ほかに神饌所・神輿庫・絵馬殿がある。神紋は「五七の桐」。

境内には江戸期の石燈籠が数多く残る。延宝四年、明暦元年、寛文十二年、元禄六年——「賀茂大明神常夜燈」の銘を持つものもあり、氏子たちの寄進の歴史を伝えている。

かつては火災と水害に見舞われた。安永五年(一七七六)に神殿が焼失し、宝永二年(一七〇五)に社務所が焼亡、元文五年(一七四〇)には洪水のため古文書・器物がことごとく失われたと伝わる。水辺の社ゆえの宿命でもあったろう。神宮寺建築の一部は、近くの九品寺境内に移されている。

明治以降、周辺の社をいくつも合祀した。宝永十年(一七一三)に蛇穴村の住吉社を、明治四十五年に境内末社の大神神社・出雲神社を、明治四十三年に御所町の恵比須神社を、それぞれ本殿に合祀している。恵比須神社の合祀は、事代主命=恵比寿という信仰のつながりを思えば、自然な流れだったのだろう。


アクセス

  • 近鉄「御所駅」・JR「御所駅」から徒歩約10分
  • 御所市宮前町513。葛城川と柳田川の合流点近く
  • 駐車場あり(約20台。境内裏手。背中合わせの月極駐車場に注意)

御所市街から近く、鴨三社のなかでは最もアクセスしやすい。目の前に幹線道路が通っている。北の高鴨神社、中鴨の葛木御歳神社とあわせて巡れば、賀茂氏が葛城に展開した信仰の全体像——天神と地祇、山と水——が、一日で体感できる。

 


参拝を終えて — 鴨三社を閉じる

これで、鴨三社が揃った。

上鴨の高鴨神社は、「今、迦毛の大御神」と呼ばれた、天神的な最高格の社だった。中鴨の葛木御歳神社は、祟りをもって語る、穀物の神の社だった。そして下鴨の鴨都波神社は、事代主命を祀る、水辺の地祇の社であり、弥生の暮らしが地面から出てくる、日本屈指の古社だった。

山の上から水のほとりへ。天神から地祇へ。神話の時代から弥生の考古学へ。三社を辿ることは、賀茂氏という一つの氏族が、葛城の地にどれほど重層的な信仰を築いたかを、足で確かめることだった。

苔むした社号標の前で、私はしばらく立ち尽くした。二千年、この水辺に神は坐(ま)し続けている。土を掘れば弥生が出て、石には千年の傷が刻まれ、それでも社は今日も、鴨都波神社であり続けている。

賀茂氏の三社を、ここに閉じる。長い巡拝だった。だが、まだ葛城には、書くべき式内社が残っている。次は、どの社を訪ねようか。苔むした社号標に一礼して、私は水辺の社を後にした。


参考文献

  • 式内社研究会編『式内社調査報告』(大和国・葛上郡)皇學館大學出版部 — 「鴨都波八重事代主命神社 二座」pp.229〜232(執筆:池田末則)
  • 『延喜式』神名帳・相嘗祭・臨時祭
  • 『古事記』『日本書紀』
  • 『神祇令義解』
  • 『新抄格勅符抄』
  • 『新撰姓氏録』大和国神別
  • 『大和志料』所引「異本大三輪三社鎮座次第」
  • 『大同類聚方』
  • 『大神分身類社鈔』『特選神名牒』
  • 『奈良県南葛城郡誌』
  • 鴨都波遺跡発掘調査資料(奈良県立橿原考古学研究所ほか)
  • 鴨都波神社社頭掲示(御所ライオンズクラブ寄贈・平成十三年一月改建)

本記事は、令和八年八月八日の参拝記録および上記文献に基づいて執筆しました。社号標の破損・修復については参拝者の観察に基づく推測であり、確定的な記録ではありません。境内の状況や御朱印の授与方法は参拝時点のものです。

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