
基本情報
鎮座(所在地)
茨城県鹿島市宮中2306-1
社格等
常陸国一宮
延喜式:式内社(名神大社)
旧社格:官幣大社
勅祭社
神社本庁別表神社
東国三社
御祭神
武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)
※史料により「たけみかつちのおおかみ」という読みとなっている場合があります。上記は鹿島神宮発行の参拝のしおりの記述によります。
縁起 (同社発行「参拝のしおり」による)
御祭神である武甕槌大神は、神代の昔、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神と共に出雲国に天降り、大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就し、日本の建国に挺身されました。
鹿島神宮の創建は初代神武天皇の御代と伝わります。神武天皇はその御東征の半ばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、武甕槌大神の「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」の神威により救われ、この神恩に感謝された天皇は御即位の年、皇紀元年に大神をこの地に勅祭されました。皇紀元年、すなわち紀元前660年の頃といわれています。
交通情報
公共交通機関
東京駅より鹿島神宮駅行き高速バス(八重洲南口バスターミナルより10分毎に発車)
約2時間程度 鹿島神宮駅バス停から徒歩8分程度
JR鹿島線・鹿島臨海鉄道大洗鹿島線 鹿島神宮駅下車 徒歩10分程度
車
東関東自動車道潮来ICから20分
駐車場あり(大鳥居脇普通車3時間以内300円又は徒歩5分の無料駐車場、周囲に有料民間駐車場多数)
参拝記
東国三社の一つで、昔より「神宮」の名称が許される名社。
前日の仕事終わりに東京駅発の高速バスに乗り、鹿島セントラルホテル近くのビジネスホテルに宿泊して翌日の参拝に備えた。
私の記憶が確かなら以前は東京駅から鹿島神宮駅まで直通の列車が走っていたような気がするがそれくらい鹿島神宮へ行くというのが一般的なことだったのだと思う。
大きな神社のご多分に漏れず、参道の両脇には駐車場を持つたくさんの土産物屋が軒を連ねている。

神社の境内は主に杉の巨木が参道の脇を固めていて、歴史を感じさせます。
第1駐車場(大鳥居脇)から徒歩5分程度で拝殿・本殿に到着します。

空前の御朱印ブームのため、御朱印を頂戴したい方はこの時点で本殿から徒歩1分の祈祷殿・社務所の御朱印受付で参拝前に御朱印帳を開いて申込をしておくことをおすすめします。
こちらの御朱印所は整理券方式になっていて、銀行の窓口のように書き終わると番号で呼び出してくれます。
御朱印は2種類あり、鹿島神宮のものと奥宮のものがあります。(いずれも300円)
私が訪問した際には祝日と言うこともあり10名くらいの方が御朱印を待っておられました。


本殿で参拝を終えたらさらに奥に進むと奥宮があります。


奥宮は以前本殿で使われていた建物を移築したもので、苔むした建造物が周りの樹叢と相まってより一層ありがたさをかきたてます。
拝殿・本殿前から奥宮まで300mくらい、そこからもう一つの目玉である要石まで200m位です。
要石は頭がひょっこり飛び出ている石ですが、実は地面より下に大きく広がっていて、地震を起こすとされるナマズの頭をこの石で押さえているんだとか。
江戸時代にかの有名な徳川(水戸)光圀公が、この石を掘り起こしてみろと命令し、部下にじっさいにやらせたものの、あまりの大きさに底を確認するに至らなかったとのこと。
このおかげで、この地域では地震が起こっても大きな被害にならないのだそうです。
鹿島神宮の最大のパワースポットらしいのです。

さらにそこから一旦奥宮に戻り、さらに150m位歩くと、御手洗池があります。
昔はこの池で禊ぎをしたのちに参拝したのことです。
地図で鹿島神宮の鎮座地を見ると、今ではかなりの内陸にあるように見え、霞ヶ浦の脇に建っているように見えますが、以前はこのあたりまで海が入り江になっていたそうです。
恐らく、この地域の主要な港としても機能していたのでしょう。
また、少し北に行くと今の栃木県や福島県の県境に至ります。
当時、まだ完全に大和朝廷の権威ががここより北の地域まで行き渡っていなかったのかもしれません。
そもそも武甕槌大神というのは、出雲の国譲りの神話において、その国譲りをある意味軍事力をもって実現させた闘いの神様です。鹿島神宮と同じく東国三社の一つ下総国一宮の香取神宮も同じく闘いの神様を祀っていることを考えると、軍事的にも非常に重要な地域だったのかもしれません。
旅行に出発することを「鹿島立ち」といいますが、もちろんこの鹿島は鹿島神宮を指しています。
武士が旅立つ道中の無事を鹿島神宮に祈願したことがそのいわれとなっています。
新たに決意をして次のチャレンジをする際にお参りするのにふさわしい神社ではないかと感じました。
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