基本情報
鎮座(所在地)
兵庫県神戸市西区平野町宮前字宇留山57

社号標
創祀
用明天皇二年(587)二月十五日
社格等
延喜式:式内社(明石郡九座(大三座・小六座) 小社:宇留神社)
旧社格:村社
御祭神
主祭神
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
比売神(ひめがみ)[姫大神(ひめのおおかみ)]
境内末社
稲荷社
若宮社
御門社

稲荷社

若宮社
その他境内施設
神武天皇遥拝所

神武天皇遥拝所
縁起
神武天皇一族が明石川を船で上り、この平野地区に水田を開き、一人の皇子を残して天皇は東の大和へ向かった(向宇留)といういい伝えがあり、当初は飛谷に鎮座していたが、斉明天皇6年(660)に今の宇留山に遷り、宇留宮・宇留の神社と呼ばれ、天皇が大和へ旅立つ前に遠望した石が遥拝所石碑として今も残っている。
『兵庫県神社誌中巻』に、「用明天皇2年(587)2月15日の創立と伝へ斉明天皇6年9月及び嵯峨天皇弘仁12年9月両度社殿を再建す延書式に明石郡九座宇留神社とあるのは当社にして中世大和国春日神社と御同体の故を以て春日神社と称す…」と記されている。
本殿・幣殿・拝殿は18世紀後期の建造物で、また、昭和53年(1978)に大修理した能舞台も同時代のもので、いずれも平成11年(1999)2月に神戸市指定有形文化財に指定された。
兵庫県神社庁ウェブサイト
宇留春日神社ウェブサイト より抜粋
交通情報
公共交通機関
神姫バス 宮前バス停下車 徒歩5分
車
第二神明道路 玉津ICから6分(3km程度)
駐車場
表通りから綺麗で舗装された広い参道の坂道を進んだ先に本殿があり、境内脇に駐車できるスペースはあるが、明示的に駐車場とされているわけではないので注意。神社や周囲の住民に迷惑がかからないように配慮が必要。
参拝記
なぜ宇留神社が春日神社に変わった?
式内 堅田神社を参拝し、日もだいぶ傾いてきた夏の夕方、そこに堂々たる社名碑が立つ当社を参拝。

参道
宇留春日神社の正式名称は「春日神社」のようで、延喜式神名帳の明石郡の項に小社として「宇留神社」と記載されている社にあたる。
宇留神社が(宇留)春日神社となった経緯は『兵庫県神社誌中巻』に「中世に大和国の春日神社と御同体であるので春日神社と称す」とされていて、この文面をそのまま解釈すれば「奈良県の春日神社(=春日大社?)といっしょなので「春日神社」とよんでいる」ということのようだ。
曖昧でよく分からないのだが、あるサイトでは当社が春日大社の元宮ではないか、と記載しているところがあった。

拝殿(春日社)

能舞台
春日の神がそのまま主祭神となっているので、春日神社と称されてから主祭神を現在のように定めたのか、もともと春日大社と同様の神様をお祀りしていたので春日神社と称するようになったか、どちらかのように思える。
神武天皇が立ち寄り、奈良を遥拝した地
もう少し時代を遡ると由緒の中に神武天皇が現れる。
神武天皇一家がこの地を訪れ、皇子の一人をこの地において自らは奈良に向かったとされている。
神武天皇が大和に旅立つ際に望んだ場所に「神武天皇遥拝所」の石碑が建てられている。
よく(伊勢の)神宮ややその国の一宮を参拝者が遥拝する「遥拝所」が設けられている神社も多いが、こちらのよう排除は「神武天皇が遥拝した場所」という意味のようだ。遥拝所の石碑は非常に綺麗で立派なので、元々この場所に古くから石碑が建てられていて、改装したのかもしれない。
神武天皇は東征の際になぜこの地に皇子を残したのだろうか?
播磨国一宮である「伊和神社」などその周囲には大国主神や大己貴命といった出雲系の神様の気配が色濃く残っているのだが、併せて地元の神様との争いの気配も併せて残っている。
それくらい、神武天皇がヤマトを建国する前の状況では、出雲、吉備などの有力諸国とともに、この地域に強い勢力が残っていたように思える。
春日大社も元々この宇留神社から始まった?
さらに想像をたくましくして、しかも春日大社の元宮であるという記述を信じるとすれば、有力な諸国の中にその後の春日の神、つまり藤原氏などを内包していて、それが最終的にヤマトへ統合されていった・・、なんという妄想はどうだろうか?
奈良の春日大社の由緒を見てみると、
奈良遷都後の和銅三年(七一〇)、藤原不比等が氏神の鹿島神を春日の三笠山に遷し、春日心と称したと伝えられる。また、古社記によれば、神護景雲二年(七六八)鹿島の武甕槌命、香取の経津主命を迎え、さらに枚岡の天児屋命並びに比売神をも併せて三笠山山麓に四相の社殿を造営したのが創祀であるという。しかし、近年境内の発掘調査が進み、この社殿以前に創建が遡る可能性も指摘されつつある。
『【縮刷版】神道事典』P.623より抜粋 國學院大學日本文化研究所編 弘文堂発行
とされるので、当社の創建とされる 用明天皇二年(587)の方が古く、時代的には適合している。
いろいろ調べてみたが、それ以外に当社が奈良の春日大社の元宮であると推定できる逸話や証拠はその他は発見できなかったが、謎めいていてとてもワクワクする。
御朱印
社務所が開いていないので頂戴できなかった。
社務所は無人だが、いろいろ調べてみると神戸市西区の平野八幡神社の宮司さんが管理している模様。
参拝の時間が遅かったので確認できなかった。
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