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神功皇后が先か、住吉大社宮司家が先か?(兵庫県)住吉神社

住吉神社御朱印 兵庫県の神社
御朱印
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基本情報

鎮座(所在地)

兵庫県神戸市西区押部谷細田302
住吉神社拝殿

拝殿

創祀

孝謙天皇 天平勝宝六年(754年)

社格等

旧社格:郷社

御祭神

主祭神

第一本殿:底筒男命(そこつつおのみこと)
第二本殿:中筒男命(なかつつおのみこと)
第三本殿:表筒男命(うはつつおのみこと)
第四本殿:気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
境内摂末社
楯神社(豊磐開戸命)殿門を守る神
鉾神社(櫛磐開戸命)殿門を守る神
幸神社(猿田彦命)道餐の神
天満神社(菅原道真公)学問神学の神
稲荷神社(稲倉魂命)商業繁栄の神

縁起

当神社は天平勝宝六年(七五四年)九月一三日、摂津国住吉神社の社家津守連「つもりのむらじ」が楯神・鉾神と共に宮山「今の元住吉山」に勧請したのが創まりと伝えられている。
その後、疫病が流行し、そのうえ五穀が実らぬ年が続き村人らはご神託により、永禄二年(一五五九年)の六月二九日現在の宮地に移遷。文禄三年(一五九四年)九月一三日高和の社地に御旅所を定め奉る。
天正七年(一五七九年)の六月二五日秀吉の三木城攻めの兵火にかかって、社殿ことごとく焼失。正保四年(一六四七年)の八月に四別棟を再建し、享保一九年(一七三四年)の四月本殿を建立。明治七年(一八七四年)二月に郷社に列せられ、大正八年(一九一九年)境内敷地を拡張し、拝殿・社務所等付属建物を建立。
平成一六年(二〇〇四年)創建一二五〇年を記念して、痛みの激しかった神輿・神具や社殿等の修復を行うと共に、七月三〇日・三一日に記念祭を挙行。
『住吉神社冊子より(いいつたえ)』より抜粋
住吉神社由緒書

由緒書

交通情報

公共交通機関

神戸電鉄(三木・栗生線) 押部谷駅下車
神姫バス(名谷方面行き)住吉神社前(高和)すぐ
地下鉄西神中央駅下車 11番バス停 住吉神社前下車

県道83号線高和橋交差点から約1km

駐車場

大鳥居脇、明石川沿いに数台駐車可(正式な駐車スペースではないと思われるので周囲の迷惑にならないよう注意)

参拝記

堅田神社を目指していたら・・・

兵庫県参拝旅行の際に神戸市西区の住吉神社に参拝。
もともと近くに鎮座する式内社「堅田神社」を探して車を走らせていた際に、明石川のほとりに大変立派な社殿を見つけ、参拝させて頂くこととなった。
明石川のほとりに本社、そしてその対岸の山中に「可美真手命神社」があり、「うましまじ」といえば物部氏の祖先神ということで非常に歴史を感じたのだ。
こちらの住吉神社も歴史は非常に古く。西暦754年の創建と伝わるので今から1200年以上も前、摂津国一宮である住吉大社より勧請された四柱を祀る。
広々とした境内で、本殿脇の林の中に摂末社が祀られていて、小さいがどれも歴史を強く感じさせる。
タダちょっと困ったのは恐ろしいほどのヤブ蚊の襲撃。
お参りしている最中、御朱印を頂戴するために待っている途中と猛攻を受けてあっという間にあちこちに蚊に食われた後ができた。
すぐ脇には明石川が流れ、水が豊富かつ鎮守の杜ということでヤブ蚊も元気なのだろう。
夏に参拝される方は虫除けスプレーの持参を強くお勧めしたい。
本社はこの地域の総氏神として崇敬を集めていて、案内によれば、明石川を渡った先の小学校の近くに御旅所があるそうで、恐らく今もこの地域の町内会が御神輿などを渡御して御旅所を使っているのだろ思う。
住吉神社境内摂社 幸神社

境内摂社 幸神社

住吉神社境内摂社 天満神社

境内摂社 天満神社

社前を流れる明石川のゴツゴツした奇岩

前に流れる明石川のに架かる橋(住吉橋)のすぐ脇が本社の鳥居・境内であるが、この境内地から川を見下ろすとゴツゴツとした岩が川底から露出している。
この川底のことを「奇淵(くしぶち)」と云うそうで、神輿渡御の折のお清めの聖地だそうだ。
たしかにゴツゴツしていて奇岩である。
主祭神は住吉三神+神功皇后。なぜこの海神様を神戸の地、しかも海からかなり離れた地域の勧請したのか疑問に残る。
本社は神功皇后が新羅征伐への途上に足を止められた場所であるとされ、「皇子真に神の子ならば、事畢りて還る後筑紫にて生ませ給え」と祈願して川の岩を砕いて帯の間に挟んで出産を遅らせて征伐に出かけたという言い伝えがある。
神功皇后の出産を遅らせる話はいろいろなところに言い伝えはのこっていて、「月延石」等と言う有名なエピソードである。しかし、そのときの石が神戸の明石川の石であるというのは初耳であった。

摂津国一宮 住吉大社との関係は?

神功皇后のエピソードが先にあり、関係の深い住吉大社の宮司家である津守連が底に注目して本社を創建したのか、それとも津守連が創建する神社に神功皇后のエピソードが追加されたのか、明確には分からない。
明石川の流れは古くから清めの水として利用されてきて、ゴツゴツとした岩など神の清めにふさわしい自然風景の中で、こうしたエピソードが醸成されたのだろうと思う。
住吉三神はなんと言っても伊邪那岐命の禊ぎから生まれた清めの神様なのだから。
住吉神社境内前 明石川

境内前 明石川

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