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神功皇后の足跡の残る古社(兵庫県)長田神社

長田神社 御朱印 延喜式内社巡り
御朱印
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基本情報

鎮座(所在地)

兵庫県神戸市長田区長田町3-1-1
長田神社 大鳥居・社名碑

大鳥居・社名碑

創祀

神功皇后元年(201年)

社格等

延喜式:式内社(名神大)(摂津国八部郡 三座(大二座・小一座)) 大社:長田神社)
旧社格:官幣中社
神社本庁:別表神社

御祭神

主祭神

事代主神(ことしろぬしのかみ)

相殿神

天照大御神(あまてらすおおみかみ) 天照皇大神神社
応神天皇(おうじんてんのう) 八幡社

境内末社

楠鷹稲荷社(くすたかいなりしゃ)諸芸上達の神様
楠宮稲荷社(くすみやいなりしゃ)衣食住の生活の神様、病気平癒の神様
出雲社(いずもしゃ)縁結びの神様
蛭子社(ひるこしゃ)商売繁盛の神様
月読社(つきよみしゃ)月の神様、夜の安全の神様
松尾社(まつおしゃ)山の神様、酒造りの神様
※『長田神社の神様巡り』長田神社発行 参照
長田神社境内社 蛭子社

蛭子社

長田神社境内社 出雲大社

出雲大社

長田神社境内社 八幡社

八幡社

長田神社 神撫山遥拝所

神撫山遥拝所

長田神社境内社 楠宮稲荷社

楠宮稲荷社

長田神社境内社 天照皇大神神社

天照皇大神神社

長田神社境内社 月読社

月読社

長田神社境内社 松尾社

松尾社

縁起

神功皇后摂政元年(西暦二〇一年)二月、皇后が新羅よりご帰還の途中、武庫の水門に於て「吾を御心長田の国に祀れ」とのお告げにより、山背根子(やましろねこ)の女、長媛をして創祀せしめられた全国有数の名社である。(日本書紀)古来、皇室をはじめ武門の崇敬あつく、延喜の制には名神大社、祈雨八十五座に数えられ、明治二十九年には官幣中社に列せられた。
『長田神社パンフレット』 「鎮座と沿革」より抜粋

交通情報

公共交通機関

神戸高速線 高速長田駅下車 徒歩7分(600m)

中央幹線/国道28号/県道21号から長田交差点を曲がり、山手幹線/長田楠日尾線/長田線へ
長田神社南交差点を曲って約500m

駐車場

長田神社大鳥居の付近にコイン駐車場あり

参拝記

2019年夏の兵庫県旅行の際に参拝。兵庫県内の有数の名社。
長田 拝殿

拝殿

主祭神は事代主神だが主人公は・・?

旧播磨国には大国主命や事代主神といった出雲系の神様の気配が色濃く残るが、当社も主祭神は事代主神である。
しかし、その経緯の主人公は神功皇后。
神功皇后が新羅遠征の際に、まずその行きの途上で夫である仲哀天皇を香椎宮にて失う。
遠征から帰国し、筑紫(現在の福岡県)で子どもである後の応神天皇を出産。
仲哀天皇の息子である忍熊王らが策謀を巡らせ、神功皇后に危害を加えようとする。
その時の経緯を日本書紀で見てみよう。
[神宮]皇后は忍熊王が軍を率いて待ち構えていると聞いて、武内宿禰に命ぜられ、皇子を抱いて迂回して南海から出て、紀伊水門[みなと]に泊まらせられた。皇后の船は真直に南波に向った。ところが船は海中でぐるぐる回って進まなかった。それで武庫の港に還って占われた。天照大神が教えていわれるのに、「わが荒魂を皇后の近くに置くのは良くない。広田国(摂津国広田神社の地)に置くのがよい」と。山背根子[やましろのねこ]の女、葉山媛に祭らせた。また稚日女尊[わかひるめのみこと](天照大神の妹)が教えていわれるのに、「自分は活田長峡国[いくたのながおのくに](摂津国生田神社)に居りたい」と。それで海上五十狭茅[うなかみのいさち]に祭らせた。また事代主命が教えていわれるのに、「自分を長田国[ながたのくに](摂津国長田神社の地)に祀るように」と。葉山媛の妹の長媛に祭らせた。表筒男・中筒男・底筒男の三神が教えていわれるのに、「わが和魂を大津の渟名倉[ぬなくら]の長峡[ながお]に居さしむべきである。そうすれば往来する船を見守ることもできる」と。そこで神の教えのままに鎮座し頂いた。それで平穏に海をわたることができるようになった。
※[]かっこ内は引用者が補足
『全現代語訳 日本書紀 上』宇治谷 孟著 講談社学術文庫刊 神功皇后の項 P.195-196から引用
現在の長田神社は、この日本書紀におけるエピソードで、主祭神である事代主神アドバイスに従って祀ったのがはじめで、創建から1800年以上となる古社である。

周囲は住宅地で広々とした気持ちの良い境内

そうした古社の割には非常に広い境内地で開放的な雰囲気で、周囲には神戸市内らしく多くの住宅地に囲まれていて、地元の住民が犬を連れて散歩に来るような、地元になじんでいる神社である。
神社で配布している資料によると、主祭神の事代主神への御尊号があり
「於天事代 於虚事代 玉籤入彦 厳之 事代主神」(あめにことしろ そらにことしろ たまくしいりひこ いつの ことしろぬしのかみ)
とされている。
その意味は、「およそ天地の間、天上界地上界、又宇宙間全ての物事を照覧し給い、あらゆる物事を知り、守り、教え、諭し、導き給う神」とのことである。
日本書紀に記載されているように、兵庫県の代表的な神社として、生田神社と並んで崇敬を集めているそうで、実際生田神社等にも前述のような日本書紀の縁起が残されているらしい。
兵庫県の神戸市に宿を取り、摂津国西部から播磨国にかけての神社巡りの旅をしたが、当社はその中でも播磨国一宮伊和神社に次ぐ歴史を誇っている。(創祀から1819年前[2020年現在]。伊和神社は西暦144年の創祀とされているので1876年前。)
なんとなくではあるが、大和朝廷がある程度明確な支配権をこの地域にも示した直後の記録が伊和神社に残り、その後の記録(神功皇后の征伐行等)が長田神社や生田神社等に残っているのだと思われる。

興味深い「鬼」の神事

なお、当社には「追儺式(ついなしき)神事」という興味深い神事があり、毎年二月節分の時期に七名の鬼役が神の使いとしてたいまつを振りかざして災厄を焼き払うのだそうだ。
「追儺」自体は宮中行事にもあるらしく、大晦日の日に行うらしいが、当社では民間の節分の豆まきのと同様な時期におこなうとのこと。
「鬼は外、福は内」とは少し趣を異にしていて、外に追い出される鬼ではなく、鬼を追い払う神の使いとしての鬼、だそうだ。起源は室町時代だというが、なんと言っても隣は桃太郎で有名な「吉備国」。
四道将軍が鬼退治にいった、等の逸話が残っている地も近く、そうしたストーリーと何か関係があったら面白いなあ、と想像をたくましくしたりしてみた。
神功皇后の旅のある種の終着地点、国際港神戸にふさわしい古社ではないだろうか?

御朱印

社務所にて授与

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