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数多くの論社があり謎に包まれた式内の古社(兵庫県)堅田神社

堅田神社 本殿 延喜式内社巡り
本殿
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基本情報

鎮座(所在地)

兵庫県神戸市西区堅田491

創祀

天元二年(979)正月十五日

社格等

延喜式:式内社(小社 弥賀多多神社)
旧社格:村社

御祭神

主祭神

大己貴命(おおなむちのみこと)

配祀神

猿田彦命(さるたひこのみこと)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
皇大神(すめおおかみ)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

境内社

稲荷社(正一位堅田稲荷大明神)
弥賀多多神社

縁起

 当社は、天元2年(979)正月15日の創建と伝えられる。
神前手洗石に、「天文6年(1537)酉正月吉日」、また数基の石灯籠に「宝暦七丑年(1757)8月吉日」、「寛政元酉年(1798)8月吉日」、「嘉永二己酉年(1849)」、「嘉永七寅年8月吉日」、また、鳥居には「享和2年(1802)戌8月吉日」の銘が刻まれている。
本殿は、桧皮葺き入母屋造で、幣殿は萓葺き切妻造で、拝殿は瓦葺き入母屋造である。
長納屋、鳥居、数基の石灯籠もあって、広い境内と杜を有し、市民公園として親しまれている。
近年、西神ニュータウンの発展と、隣接している関係から(神戸高塚高校から徒歩3分)、その地区からの参拝者も増えている。
黒田地区、繁田地区の堅田神社は当堅田神社が分かれたものであるといわれている。
兵庫県神社庁ウェブサイトより』

> 弘仁6年(815年)勅願寺梵天山宝珠寺鎮守の社として創建され、延喜2年(903年)延喜式内社弥賀多多神社と称す。
現在の社は、平安時代、天元2年(979年)播磨の国堅田の庄鴨谷村弥賀多多の里(現神戸市西区平野町堅田字内垣内491番地)弥山に勧請創建され鴨谷・金星・繁田・黒田の4か村の鎮守の社として祭祀された。上記の堅田神社の由来にあるように、この地を「播磨の国・堅田の庄、鴨谷村弥賀多多の里」と言い、「弥山」に「弥賀多多神社」があったところからこのニュータウンを「美賀多台」、学校を「美賀多台小学校」と名付けた。
神戸市立美賀多台小学校ホームページより』

交通情報

公共交通機関

神戸市営地下鉄 終点「西神中央駅」より北西へ1600m徒歩15分
「西神中央駅」から200系統バス又は、JR「明石駅」から35又は48系統の市バス又は、神姫バス乗車「堅田バス停」下車北北東へ徒歩3分

第二神明道路 玉津ICから20分(21.5km程度)
神社参拝に最適なカーシェアステーションはこちらで検索

駐車場

神社の表通りから非常に狭い道で、小型車で進入は出来ても車両を停車させるスペースはなし。転回も困難。
神社脇の堅田市民公園にもそのスペースはないので注意。

予約できる駐車場「タイムズのB」 駐車場予約・登録

参拝記

この地域に多く見られる大己貴命の気配

押部谷町の住吉神社参拝後にこちらに参拝。

主祭神は「大己貴命」で、兵庫県には非常に多い。
元々は出雲の神様だが、播磨国一宮の伊和神社等でも主祭神とされているので、当時の勢力図がそのまま反映されているのかもしれない。

堅田神社は延喜式神名帳の小社で「弥賀多々神社」と記載されている社にあたる。
神戸市及び明石市近郊に論社が複数存在している。

堅田神社(当社) 兵庫県神戸市西区平野町堅田491
堅田神社(繁田堅田神社)兵庫県神戸市西区平野町繁田558
堅田神社(黒田堅田神社)兵庫県神戸市西区平野町黒田392
岩屋神社 兵庫県明石市材木町8-10
伊弉冊神社 兵庫県明石市岬町19-8

当社の参道に当たる通路が一般道と交わるカ所に小さな、それでいて誇らしげな白い看板が設置されている。

堅田神社 道路沿いの式内堅田神社・弥賀多多神社の案内板

道路沿いの式内堅田神社・弥賀多多神社の案内板

式内の弥賀多多神社はいったいどちら?

境内には「堅田神社」とその裏手に小さな祠があり、この祠が現在の「弥賀多々神社」とされているようであるのだが、祠に明記されているわけではないので判然とはしない。
元々延喜式に記されている「弥賀多々神社」は現在の「堅田神社」か、それとも「弥賀多々神社」の方か、いろいろ調べてみたが諸説あるようだ。

播磨国の国内神名帳である『播磨国内鎮守大小明神社記』に「明石郡十三社 但十一社有之」の「丹生葛江明神(彌方明神)」として弥賀多多神社の記載がある。これも論社が存在し、
堅田神社 兵庫県神戸市西区平野町堅田4
堅田神社 兵庫県神戸市西区平野町繁田
堅田神社 兵庫県神戸市西区平野町黒田
岩屋神社 兵庫県明石市材木町
岩屋神社 兵庫県明石市岬町
とされている。
『播磨国内鎮守大小明神社記』に記載の「彌方明神」は神戸市立美賀多台小学校ホームページ に記載のある「播磨の国・堅田の庄、鴨谷村弥賀多多の里」の「弥山」の神様のことであろう。

それでもやはり「堅田神社」と「弥賀多々神社」(小祠の方)の区別がやはり分からない。
仮に、一般的に言われている(現)「堅田神社」が(延喜式の)「弥賀多々神社」であったばあい、なぜそれとは別の「弥賀多々神社」を境内にお祀りしたのか、その名前をどうしても残しておきたかったのだろうか?
境内には極彩色の鳥居が並ぶ「正一位堅田稲荷大明神」も祀られている。

堅田神社 正一位堅田稲荷大明神

正一位堅田稲荷大明神

境内は非常に小さく、周囲は苔むしていて、歴史を強く感じるが人や生活の気配を感じない。

堅田神社 参道

苔むした参道

堅田神社正面鳥居

正面鳥居

式内の堅田神社はやはりこの堅田神社だろうか?

論社ではあるが、兵庫県神社庁の記述を信じると「繁田堅田神社」「黒田堅田神社」はそれぞれ当社から分祀されたもののようで、町の発展に従って鎮守の社を分割したのだろう。
周囲の地図を見ると、当社が祀られている崖の上は非常に近代的なニュータウンが広がっていて、その町の名前も漢字の宛て方は異なっていても「美賀多台」と名づけられている。
やはり地名というのは歴史を刻む物であるから、新たに造成された町であってもこのように名前が継がれるというのは非常に素晴らしいことに思える。

当社に関する資料が極めて少なく、境内にも掲示が全くといって良いほどないため、その分推測や「妄想」を膨らませる余地が大きい。
天気の良い日に参拝させて頂いたのだが、鬱蒼と茂った林の中の苔むした石段、建造物など、ゆっくりと思いをはせるのには素晴らしい神社であった。

御朱印

社務所が開いていないので頂戴できなかった。
社務所は無人だが「御神札をお求めの方は諏訪神社(神戸市西区)まで」という掲示があるので、そちらに宮司さんが常駐されているのだと思われる。当日は時間も遅く、訪問して確認は出来なかった。

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